「ここで会おう」誓い出征 11、12日に神事
【産経新聞:2015年8月10日】
台湾南部の小さな村に、ある小さな神社があった。「日本軍」として出征した住民もいた村に
とって、戦前の日本統治下につくられた神社は、日本の靖国神社のような存在だった。戦後荒廃が
進んだが、住民からの強い要望を受け、横浜市中区の神職、佐藤健一さん(44)が新しい社を制作
した。戦後70年の終戦日を前に宮司となり、遷座祭などの神事を行い、現地の戦没者も英霊として
祭る。
台湾南部に位置する屏東県牡丹郷高士村。山間部の自然豊かな地域で、原住民であるパイワン族
が多く暮らす。パイワン族は、日本の台湾統治を批判的に扱ったNHKの番組で名誉を傷つけられ
たとして集団訴訟を起こすなど、親日感情が強いことでも知られる。
戦前の日本統治時代、高士村には小さな神社がつくられた。住民の陳清福さん(87)によると、
現地住民も日本兵として出征。戦没者も出たといい、出征前には「自分が生きて帰ってこなかった
ら、この神社で会おう」という誓いが合言葉だったという。
しかし、戦後の国民党政府による戒厳令下、親日的な行動が許されなかったこともあり、神社は
次第に荒廃。石垣の礎石を残すのみとなっていた。それでも陳さんは「戦没した彼らのためにも、
この神社を残すことが私の使命だ」と、礎石を保護する屋根を整備したり、周囲の草抜きをしたり
して、住民と神社を大切に守ってきた。そしていつの日か、社が再建されることを願い続けてい
た。
■制作費用を出費
そんな折、“再建請負人”として白羽の矢が立てられたのが佐藤さんだった。佐藤さんは千葉県
や静岡県、神奈川県の神社で神職を務め、宮大工の家系でもある。日台親善を推進する「日本李登
輝友の会」に参加するなど台湾との交流も深く、約2年前、李登輝氏の関係者から再建の要望を受
けたという。
しかし費用が、再建への大きな壁として立ちはだかった。現地の住民も余剰資金がなく、佐藤さ
んは、台湾への歴史的な恩義や住民の再建への熱い思いに応えたいと、社の制作費用や輸送費、約
1千万円を自ら出費することを決意。社の図面や写真はなかったが、現地を何度も訪問し、礎石か
ら社の大きさなどを推測して構想を練った。何より「高齢の陳さんが生きているうちに再建し、新
しい社を見せてあげたい」という気持ちが原動力となった。
■あす、お披露目
社は高さ約2メートル30センチ、幅約2メートルで、今春に日本で完成。すでに現地に搬送され、
今月11、12日の神事で氏子である住民らにお披露目される。台湾で神社を研究している国立台湾大
学の専門家からは「小規模ながらも神職と氏子が奉祀する戦後最初の事例」との評価も受けた。住
民も神社復活を大いに喜び、記念の切手を作成したという。
社には高士村から出征した英霊と住民が希望した日本の神を祭るが、パイワン族にはキリスト教
が浸透しており、神事の前に牧師による祝祷も行われる。佐藤さんは「日本のために戦った英霊を
弔う気持ちは日本人もパイワン族も同じで、信仰の問題ではない。住民らの意思を受け継ぎ、宮司
として神社を守っていきたい」と話している。