1916年(大正5年)に私財をなげうって台湾初の漆工芸学校を開き、台湾の人々から「漆工芸の父」「台湾漆芸の生みの親」として尊敬されている山中公(やまなか・ただす)もその一人だ。いまだに日本ではほとんど知られていないようだ。5年前の本誌で、BSフジが『わが心の“蓬莱の島”〜ある漆芸家 100年目の真実〜』として放映することを紹介した漆工芸家だ。
山中の弟子には「彩色バナナ文丸盆」という作品で著名な陳火慶氏、東京美術学校(現東京芸術大学)で学位を取得している頼高山氏、2010年に「人間国宝」に指定された王清霜氏などがおり、現在、漆工芸作家として活動する約1,000人はすべて山中の弟子筋に当たるという。
山中と台湾の教え子が作ったのが「蓬莱塗(ほうらいぬり)」で、台湾の庶民生活にスポットを当てるこ とや、日本で基調となる赤と黒以外の色も多く使われることなどが特徴だそうだ。
来る11月10日から25日まで、出身地の香川県で「台湾・香川 漆芸交流展」が開かれる。読売新聞が伝えているので、下記に香川県文化会館「台湾・香川 漆芸交流展」とともにご紹介したい。
◆香川県文化会館「台湾・香川 漆芸交流展」 http://www.pref.kagawa.lg.jp/kmuseum/bunkakaikan/taiwan.html 〒760-0017 高松市番町1丁目10−39 TEL:087-831-1806
————————————————————————————-香川漆芸 台湾に咲く【読売新聞:2018年11月8日】https://www.yomiuri.co.jp/local/kagawa/news/20181107-OYTNT50319.html
◇山中公 後進指導に注力
地域色豊かな漆芸が花開いた台湾と香川漆芸とのゆかりを展望する交流展が、10日に県文化会館(高松市番町)で始まる。台湾で戦前、漆の美の種をまいたのは、香川出身の一人の教育者。その業績が古里で顧みられることは、これまでなかった。関係者は「日台の懸け橋を知る機会に」と願っている。(谷口学)
◇県文化会館 10日から交流展
教育者の名は、山中公(ただす)(1886〜1949年)。県工芸学校(現・高松工芸高)を経て東京美術学校(現・東京芸大)で漆芸を学んだ。卒業して一時、県工芸学校の教師を務めた後、1916年、実業家だった義父を手伝うため日本統治下の台湾へ渡った。
当時、台湾に漆の文化はなかった。現地に工房を開いた山中は、私財をなげうって漆芸学校を設立し、後進の指導に注力した。
今回の交流展では、山中に直接教えを受けた頼高山が梅の花をモチーフに作った花瓶など台湾の85点を、香川の作家の39点と合わせて展示する。台湾作品の特色は、原色を多用した鮮やかな配色と、強い彫りの線が生むダイナミックな造形だ。
その象徴とも言える逸品が、直弟子の一人、陳火慶の「彩色バナナ文丸盆」。交流展を企画した県文化振興課の今滝哲之課長補佐は「盆いっぱいの葉とバナナの造形、大胆な色遣いが力強い」と評す。
こうした作風も、山中が指導した。台湾側コーディネーターの一人、張森洋さん(46)は「漆工芸を新たな産業、文化として確立し、台湾を豊かに、との思いがあったはずだ」。木地を彫って豊かな彩色を施す香川漆芸の技が、その礎になった。
現在に至るまで1000人を超える作家が活躍。その全てが山中の門弟に連なるという。
こうした功績は、日本では長く埋もれてきた。戦後に関西へ引き揚げて間もなく、山中がひっそりと亡くなったためだ。だが、近年、漆芸家の三田村有純・東京芸大名誉教授が光を当て、日台の若手作家の交流などを進めている。
三田村さんは「作家として名を残すことより、人づくり、文化の創生に打ち込んだのが山中のすごさ。今展を、互いに尊敬し合える文化交流で漆工芸の未来を開く契機としたい」と話している。
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交流展は25日まで。午前9時〜午後5時。10日午前9時半から、会場で三田村さんや日台の作家を交えた記念シンポジウムが開かれる。参加無料。定員200人。問い合わせは県文化振興課(087・832・3782)。