新年明けましておめでとうございます。今年も昨年同様よろしくお願い申し上げます。
本日の新春第一号は台中にあるかって明治小学校(現大同国小)のOBの人が書かれた文章を紹
介します。それは母校創立115周年に参加した日本人同窓生で作る「小ざくら会報」が昨年11月14
日発行の第56号(最終号)の会報に掲載されていたからです。
ちなみに昨年暮れに発刊した『台湾〜我が故郷』の作者の島崎先生もよくこの会報に投稿してお
りました。
◇ ◇ ◇
台湾いとおし
昭和16年卒 坂口淳一郎
かっては日本人の誇りのもとに、台湾の青少年たちは、陸海軍に志願し死地へ飛び込んで行きま
した。亡父が台中州東勢郡警察課時代、部下の高砂族青少年から義勇隊志願者を募り、選抜して台
車の軌道で義勇刀を造り「彼らに持たせるのだ」と言っていたのを思い出します。その募集に当
たっては、如何なる条件を掲げていたのだろうか。
戦地では内地人将兵には出来ない大活躍、大奮戦で如何程の将兵が救われたことか。また敗戦故
に戦犯とされ刑死、或いは長い獄中生活を送られた方もありました。
然るに日本は掌を返すように、日本人ではなくなったからと、援護の手は延べず、慰労感謝の言
葉もありません。
日本国民の声に押されて、戦没者に漸200万円の弔慰金を支給しましたが、その際に「今後補償
請求など一切致しません」と念書を書かせたのです。日本人として生まれ、日本人として戦い、日
本のために戦死されたのにもかかわらず、日本の遺族との援護の差は、ここに書くのも憚れます。
戦死された御遺族にも、地獄の戦場から帰還された方々にも、慰労金も年金もありません。最高裁
は、立法の問題であると国会に下駄を預けましたが、政府にも国会にも、御恩に報いようという動
きはありませんでした。
台北在住の作家、柳本通彦氏は「元高砂義勇隊員から『もうこの齢になってお金はいらない。た
だあの戦争に行った証が欲しい。ブリキでいいから勲章を貰ってくれ』と言ってきた。援護の問題
は国の名誉、品格の問題である。もう一刻の猶予もないときに来ている」と書いています。
日本は信義の国、信義の民と信じてきた彼らを日本は裏切りました。この国の態度を平気で当然
としている日本国民を私は憤り悲しみます。敗戦までは同胞戦友であった彼らに対する差別は許せ
ません。戦没者の親御様は、とっくにご他界でしょうが、日本のために一命を捧げたわが子を思う
時、その嘆き口惜しさは如何ばかりか、と媽々の日にはひしひしと感じるのです。私はそれでも
黙っている台湾人が愛おしくてなりません。
この非情な日本を、今なお心の祖国と慕っている台湾人を、如何に思いますか。ある年の慰霊祭
の後、日本人一行に歓迎会を催して下さったことがありました。私はその席において、一人のご遺
族に「靖国の神となられた方のご遺族に、厚い援護の手も差し伸べず申し訳ありません」と申し上
げると、その方は「援護も補償もいりません。戦死したのは憧れからと言ったらいいでしょうか」
と答えられました。
この憧れとは何なのか考えてみてください。台湾人のお母さんも哭いて堪えられたのです。台湾
の友人は「本当の日本人になる夢は消えましたが、今後も親しくご厚誼を」と文をくれました。台
湾の人々は悲しい酷い犠牲を払いましたが、日本はそれに何の痛みも覚えておりません。彼らは日
本に見捨てられた日本人です。
この捨てられた日本人戦没者へ、私はせめて年に一度の慰霊祭には報恩の想いを新たにしたいと
参加して参りました。
主催が台日海交会、中日海交会なので、日本からの参加は元予科練、陸海軍関係者、福岡市の日
華親善団等約50名、そして台湾のご遺族、有志の方々が100名参加され、厳かに催されて参りまし
たが、参加者の高齢化により年々寂しくなっています。
私ども湾生には齢を重ねるごとに懐かしい故郷、故郷の人々なのです。台湾を知らない人々に、
台湾人を理解せよとまでは思いませんが、台湾にお世話になった私どもが、兄弟として励まし睦み
あう先頭にたつべきでした。69年の間、台湾人の好意に甘えに行ったことはあっても、慰霊祭には
一度も参加していないのではありませんか。台湾台中市明治小学校卒業者も在学中であった方々
も、みんな老齢となり台湾往復も億劫になりました。会報も今回で終わりです。
皆さまのお元気な間に、今年の11月25日台中市の宝覚寺の霊安故郷碑慰霊祭に参加しようではあ
りませんか。
(追記)台中の宝覚寺に、戒厳令が解除されたのを機に1990年11月25日に建てられた「和平英魂観
音亭」と李登輝元総統の筆による「霊安故郷記念碑」があります。案内板には日本語で「大東亜戦
争台湾住民元日本人軍属戦没者3万3千余柱と台湾住民戦争犠牲者の霊を祀る」と書かれています。
またそばには日本人墓地もあり、台湾に来られた際は、台湾の靖国神社にぜひ立ち寄ってお参りし
てください。
【編集部註】
昭和48(1973)年4月14日の厚生省発表「台湾関係(籍)軍人軍属数」によれば、大東亜戦争に
は20万7,193人が軍人・軍属として従軍し、戦歿者は3万304人。また、靖國神社によれば台湾籍戦
歿者は2万7,864柱がご祭神として祀られている。
台湾には台湾出身戦歿者を祀るところとして、台中の宝覚禅寺、烏来の高砂義勇隊慰霊碑、新
竹・北埔の南天山済化宮、高雄の戦争と和平記念公園など4ヵ所あると言われ、日本には靖國神社
の他に東京・奥多摩の笠松展望公園に慰霊碑と慰霊塔が建立されている。
靖國神社では毎年11月23日、台湾出身戦歿者を慰霊顕彰するため李登輝学校日本校友会が永代神
楽祭を奉納、記念講演会などを行っている。笠松展望公園でも毎年5月、東京台湾の会、台湾協
会、日本李登輝友の会の共催により慰霊祭を催している。