台南・赤嵌楼に設置された「最後の台南市長」羽鳥又男の胸像(最終回)

心から感謝したい許文龍さんのお話

雑 感
                               羽鳥 明子

 今回、「お祖父さんの胸像」のご縁により、台湾と日本の関係を僅かながら理
解することができた。
 なにより「台湾から見た日本人観」を得られて、その素晴らしさを知って安心
し、反対に励まされた。戦争だから悪いことも沢山あったはずだけど、それでも
台湾の人が、当時日本が台湾にもたらした生活の向上を感謝して、今でも年配の
方は日本に親しみを持ってくれていることを知った。特に許文龍氏の話は、私に
はとても貴重で、この上なく感謝したい内容だった。
 自分がどこを歩いているのか分からないで、迷っているような時に、不意に隣
の人から突然、「いいよ、こっちだ、頑張れ!」と肩をポンとたたかれたような
衝撃があった。
 嬉しかった。また今でも過去でも、いいことも悪いことも含めてもっと「日本
が他国に何をしたか、しているか」を日本人は遠慮なく知るべきなのだと痛感し
た。
 お義父さんが一緒だからだとは分かっているが、私にまでも、許文龍先生をは
じめ奇美博物館館長、石榮堯先生、潘元石先生、台南市政府の方達、文化資産課
の李清山さん、ボランティアガイドの張浚欽さんなどが丁寧に、明るく一所懸命
に日本のことを説明してくださった姿に心から謝謝。更に、日本のキリスト教会
宣教師として台南でお働きの中田和子牧師からもいろいろとお話をうかがうこと
が出来たのは幸いなことであった。
 台湾の人は、「植民地時代」ではなく、「日本時代」と言っていた。台湾には
原住民族がいた。6000年以上も前から台湾に住んでいる人たちで現在では11種族
に分類される人たちだった。固有の言語文化をもつ人たちで、台湾は中国大陸か
ら人たちだけではないことなど、これまで全く知識の持ち合わせがなかった。
 私の台湾旅行報告の最後に街の印象を加えよう。
 街の印象:許文龍氏のいうところの「日本人の見栄」と言われた功績なのか、
あの時代の台湾の道路幅は広く、公共の建物はたしかにゆったりと広く、東京よ
りずっとゆとりがある。                    (おわり)
                    【シニアネット171号・7月20日号】

■「末代市長」と台南の人々から慕われた羽鳥又男市長のご子息の羽鳥直之氏が
10日ごとに発行されている「シニアネット」から転載させていただいた、羽鳥明
子様の台湾紀行はこれで終了させていただきます。 台南に立ち寄る機会があり
ましたら、ぜひ赤嵌楼に展示してある羽鳥又男市長の胸像を拝観し、その事績を
偲びたいものです。                      (編集部)


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