加盟50年の中国が物語る国連の幻想  浅野 和生(平成国際大学教授)

【世界日報「View point」:2021年10月14日】https://vpoint.jp/opnion/viewpoint/212388.html

 1945年10月24日、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連と中華民国を安全保障理事会の常任理事国として、原加盟国51カ国をもって国際連合が発足した。これ以後、最初の25年間の「中国」は蒋介石の中華民国であったが、71年10月25日を境に、毛沢東の中華人民共和国がとって代わった。以来今日までにちょうど50年が経過した。

◆結成目的に適わぬ国情

 さて、49年10月1日、天安門広場で毛沢東が建国を宣言して以来、中華人民共和国は国連加盟を20回試みたが果たせず、21回目の挑戦でようやく加盟を実現した。その22年の間に、中国は68カ国から国家承認を受けていた。

 これ以後、国連に加盟した中国は、日本、アメリカを含む主要国から次々に承認を得ることに成功して、79年末までの8年間に57カ国と国交を樹立した。この時点での国連加盟152カ国のうち中国の国交国は123カ国に達している。国連加盟は、中国に国交国の激増という大きな恩恵をもたらしたのである。

 ところで、国連憲章前文には、以下のように国連結成の目的が記されている。すなわち、2度にわたる大戦の経験から、戦争の惨禍を避けることが第一の目的であるが、それだけでなく、基本的人権と人間の尊厳および価値、男女および大小各国の同権、正義と条約その他の国際法による義務の尊重、さらなる自由の中での社会進歩と生活水準の向上、の追求である。その実現のために、加盟国には他者に寛容であること、善良な隣人として互いに平和に生活すること、国際の平和および安全を維持するために力を合わせること、共同の利益である場合を除いて武力を用いないこと、が求められている。

 しかし50年前の中国では、複数の国との国境紛争で武力衝突が絶えず、チベットでは宗教を弾圧し、60年代後半から76年の終結までに数百万人とも2000万人ともいわれる死者を出した文化大革命が進行中であった。つまり、およそ国連の結成目的に適(かな)う国情ではなかった。それでも多数の国が中国の国連加盟を進めたのは、世界最大の人口を抱え、国際社会で存在感を高めつつあった中国を野に放っておくより、国連の枠の中に引き入れることで目の届くところに置き、やがて国連メンバーにふさわしい実態を持つことを期待したからであろう。

 ところがその後、ソ連と東欧の民主化が進んだ89年、中国では六四天安門事件で、自国民への武力発動により民主化の芽を摘みとった。それでもなおかつ90年代になると、アメリカのクリントン政権をはじめとして、各国は再び中国の将来に幻想を抱くようになる。中国への幻想という病は、アメリカでも日本でも、再発を繰り返すらしい。

 ●小平の南巡講話以来、なりふり構わぬ経済発展に舵(かじ)を切った中国を見て、庶民が生活に一定の潤いを持てるような経済発達段階になれば、中国にも自由と民主が芽吹くだろうと期待したのである。(●=都の者を登に)

 こうしてアメリカをはじめ先進各国は、中国に投資し、産業技術を供与した。21世紀に世界の工場となった中国は、2010年代には世界第二の経済大国となり、盗取した科学技術と経済力を軍備の刷新と拡大に注ぎ込んで、今ではすっかり強大な軍事力を抱えるモンスターになった。さらに一昨年末から、武漢発の新型コロナウイルス禍を世界に拡散させたことは周知の通りである。その情報隠蔽(いんぺい)と世界保健機関(WHO)への情報操作圧力とが、今日に続く惨状の元凶である。

 自由と民主を掲げ、法の支配を尊重する善意の国々は、野にある新興国家を見ると、このままでは危険だからと国連の枠組みに招き入れ、手懐(てなず)けることでいつしか国連色に染まるだろうと期待する。しかし、中国の事例に明らかなように、この期待は全体主義のイデオロギー国家には通用しない。国内の民意も国際世論も、イデオロギー国家の行動を律する要因にならないからである。

◆覇権掌握のために利用

 国連加盟50年の中国は、「中華民族の偉大な復興」という覇権掌握の長期目標達成のために、利用できる限り国連を活用する。しかし、国連の基準に自らを合わせようとは金輪際しない。この点で、国連は無力なのである。過ぎ去った50年は、幻想から覚めるのに十分な年月ではないか。

(あさの・かずお)

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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