くなられた。
住田氏は、昨年11月17日に台湾独立建国聯盟日本本部が主催した「故黄昭堂主席を偲ぶ
会─陳南天新主席を迎えて」に出席、来賓として挨拶していただいたことがある。
このときも体調はあまり良くなかったようだ。出席の返事はいただいていたが、産経新
聞社秘書室からは当日の体調次第という返答だった。会場に見えた住田氏は杖をつき、台
北支局長をつとめた山本秀也氏が寄り添うように付き添っていた。何を措いても馳せ参じ
たという印象だった。
中津川博郷・衆院議員(当時)に引き続き挨拶した住田氏は、病気のせいだろうか、少
ししゃがれた声で「一人のジャーナリストとしてお話しさせていただきます」と切り出
し、黄昭堂主席との交わりが1970年代はじめ、産経新聞と台湾との交流の中ではじまり育
まれたと振り返り、「お亡くなりになってポッカリと大きな穴が空いた。先生は人に対し
てある種の成熟しきった人間性を示され、巨体をゆすった笑顔が忘れられない。慈愛に満
ちた巨大な存在であったことが改めて偲ばれます」と述べ、黄昭堂主席を偲ばれた。
住田氏が台北支局長をつとめた断交直後の台湾では、未だ蒋介石が「大陸反攻」を呪文
のように唱えていた。住田氏は『蒋介石秘録』をまとめ、その意味では日台関係の一時代
を象徴する新聞記者だった。
しかし、その後の台湾は李登輝総統の出現で一変し、住田氏は台湾の行方が気になって
しょうがなかったようで、頻繁ともいえるほどに訪台していた。
その新聞記者が台湾の独立建国に命を張って闘ってきた黄昭堂主席を偲ぶ会にはせ参じ
た。改めて黄昭堂主席の「慈愛に満ちた巨大な存在」に思いを馳せるとともに、故住田良
能氏のご逝去に謹んで哀悼の意を表するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
産経新聞前社長、住田良能氏が死去
【産経新聞:2013年6月12日】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130611/trd13061115070008-n1.htm
産経新聞社前代表取締役社長で相談役の住田良能(すみだ・ながよし)氏が11日午前2時
57分、多発性骨髄腫のため東京都内の病院で死去した。68歳。
通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日午前11時、東京都港区南青山2の33の20、青山
葬儀所で。喪主は妻、幾枝(いくえ)さん。葬儀は住田家、産経新聞社の合同葬として執
り行われる。葬儀委員長は熊坂隆光・産経新聞社代表取締役社長。
住田氏は慶応義塾大学を卒業後、昭和44年に産経新聞社に入社。台湾での「蒋介石秘
録」の執筆やワシントン特派員、外信部長を歴任するなど主に国際報道畑を歩んだ。平成
10年に常務取締役主筆・東京編集局長、12年に専務取締役主筆・大阪代表などを経て、16
年6月から23年6月まで代表取締役社長を務め、デジタル事業分野の拡充などに力を注いだ。