【東洋経済ONLINE:2015年12月2日】
台湾で今年最も話題を集めた映画の一つが、終戦後に台湾から日本に引き揚げた人々を追ったド
キュメンタリー映画「湾生回家」である。
「湾生(わんせい)」とは、戦前、台湾で生まれ育った日本人のことを指す。映画の日本語タイ
トルは「故郷−湾生帰郷物語」。ドキュメンタリーとしては、興行収入1億円を超える台湾で異例
のヒットとなり、来年には日本でも公開される予定だ。
この映画は、「回家」という言葉が示すように、湾生たちは日本に帰った後も、忘れようとして
も忘れられなかった「台湾=故郷」に、戦後70年を経て、深い感慨とともに戻っていく物語を描
く。映画のなかでは、高齢に達した湾生たちが、それぞれの「故郷」で懐かしい人々や景色と再び
出会い、台湾への愛惜や戦後の人生を語り尽くすところが見どころだ。
◆「懐日ブーム」を担うのは20代、30代
なぜ、湾生たちを取り上げた映画が台湾でヒットしたのか。それは、近年台湾で広がる「懐日
(日本を懐かしむ)」ブームと深く関係している。
台湾には、 1895年から 1945年にかけての日本統治時代の多くの建築物や産業遺跡が残っている
が、これらの保存・再活用を通して、「日式」を台湾に残そうという取り組みが各地で活発化して
いるのだ。
昨年は日本でも公開された、戦前の日本統治下の台湾から高校野球・嘉義農林チームが日本本土
の甲子園に出場し、準優勝する活躍を描いた映画「 KANO」も大ヒットした。台湾には、戦前に日
本語教育を受けた人々もいるが、いまの「懐日」ブームを担うのは20代、30代の若者だという点が
特に興味深いポイントだ。
私は映画「湾生回家」を台北市内の映画館で見たのだが、観客の年齢層が意外に若いことに驚か
された。隣に座った20代の女性は、映画の最初から最後まで、涙をハンカチで拭い続けていた。
「湾生回家」は一カ月以上も上映が続くという、台湾では珍しいロングランとなり、私が見に
行った日も平日の午後というのにほぼ満席。11月21日に受賞発表式があった台湾アカデミー賞「金
馬奨」でも最優秀ドキュメンタリー作品にノミネートされた。映画と同じタイトルの書籍も5万冊
を売り上げ、「湾生」はにわかに台湾で注目される存在になった。
ドキュメンタリー作品は、実は台湾では根強いマーケットを持っており、しばしばドキュメンタ
リーがロードショーの映画館で上映され、「湾生回家」のように億超えのヒットとなることもあ
る。台湾の人々が社会問題に対する高い関心を持っている背景もあり、また、優秀な人材がドキュ
メンタリー界にひしめいていることも関係しているようだ。
こういった環境が「ドキュメンタリーは単館上映」と相場が決まっている日本といささか違うの
は確かだが、いずれにせよ、「湾生回家」は娯楽性とメッセージ性を兼ね備えた優れた作品だと高
く評価されている。
◆戦後70年の節目に、新たに発掘された価値
湾生とは、どういう人々なのだろうか。
敗戦によって日本は台湾の領有権を放棄し、中華民国政府は日本人(当時台湾では内地人と呼ば
れた)を全員、日本に帰す方針をとった。1949年までに日本人の帰還事業は完了。当時、台湾から
引き揚げた日本人は軍民あわせて50万人と言われる。台湾生まれではなくても、台湾で長期にわ
たって少年期や青年期を過ごした人々も湾生である。
「湾生回家」の作品の価値は、激動の歴史を歩んだ台湾の近代史のなかで、「台湾から日本に
戻ったあとも、台湾を忘れず生きてきた」という湾生の物語を、戦後70年という節目に新たに発掘
したところにあるだろう。
台湾社会のなかで、1945年以降に台湾を去った日本人たちが、これほど台湾を深く懐かしみ、思
い続けたことは、これまでほとんど語られなかった話だった。そればかりでなく、むしろ日本人は
「台湾を捨てた」と広く受け止められてきた。
李登輝との対談で知られる司馬遼太郎著「台湾紀行」では、司馬遼太郎が、台湾である老婦人か
ら「日本は台湾を二度捨てた」と詰め寄られ、答えに窮したところが描かれている。私自身、台湾
で暮らしている間に、何度か高齢の方々にそう言われ、心のなかに罪悪感が残った記憶がある。
二度捨てた、というのは、1945年と、1972年のことだ。前者は日本の敗戦による台湾の放棄、後
者は日華断交である。前者も後者も、日本にとっては、かなりの部分、自力ではどうしようもない
ものだった。
前者については降伏の条件として台湾放棄を約束させられた。後者もまた、日本の国益のため、
世界の潮流に乗り遅れないよう、やむを得ない判断だったと、いまからすれば言うこともできるだ
ろう。しかし、台湾にとってみれば「捨てる」という言葉で言いたくなる気持ちも理解できる。
◆歴史のなかで忘却された、湾生たちの「人間の歴史」
終戦当時、台湾にいた日本人のなかにもいろいろな考え方があっただろうが、「台湾を離れたく
ない」という気持ちでありながら、国家が定めた運命によって無理矢理台湾から引き離された人々
がいたことは、この作品を見れば十分に伝わってくる。
こうした人間レベルの関係は、戦後の日台関係のなかで政治的に隠されてきた部分がある。台湾
では国民党の「中国化教育」によって日本への思いは「皇民意識」として克服すべき対象となっ
た。日本でも、台湾統治という植民地領有行為そのものが批判の対象となった。
その結果、国家の領有や放棄というレベルとは本来別次元であるべき湾生たちの「人間の歴史」
までが忘却され、軽視されてきたのである。
しかし、台湾では近年、「中国は中国、台湾は台湾」という認識が完全に定着し、その分、台湾
へ向ける人々の郷土愛が盛んに強調されるようになっている。「愛台湾(台湾を愛する)」という
スローガンは、もはや独立志向が強い民進党支持者だけでなく、国民党の候補者も語らなければ選
挙に勝てない状態だ。その意味では、この湾生回家のヒットは「日本人も愛した台湾」という点
が、より台湾の人々の涙腺を刺激するのだろう。
記憶は環境によって育てられる面はある。台湾における日本時代への懐かしみは、国民党の苛烈
な統治や弾圧が強化したものであろう。
日本での湾生たちの台湾思慕も、敗戦によって焦土となった日本は当時の台湾に比べてはるかに
暮らしにくかったことや、日本で引揚者が受けた差別的視線なども関係しているはずだ。戦前の台
湾の経済水準は、日本の地方都市を大きくしのぎ、給料面でも東京に遜色ない金額を得ることがで
きた。日本に戻った「湾生」たちが台湾での生活をより一層懐かしんだことは疑いようがない。
だが、やはり重要な問題は、人間にとってのアイデンティティは、必ずしも教育やイデオロギー
だけで決まるものではなく、個々人が抱いている実体験によってしか本当の意味で形成されないと
いうことだと思う。
◆他人に語れない「台湾の私」を抱えて生活してきた
映画のなかの印象深いセリフに「(湾生たちが育った台湾東部の)花蓮のあの自然、景色をその
まま日本に持って帰りたい」という言葉がある。彼らには、そんな気持ちにさせられる景色は花蓮
以外に存在しないだろう。そこに経済的豊かさがあろうがなかろうが、国籍が日本であろうが中華
民国であろうが、それはひとりの人間にとって絶対的な体験なのである。
映画で湾生たちは、口々に「私の故郷は台湾」と語っていた。そして、戦後の日本でずっと他人
に語れない「台湾の私」を抱え込んで生活してきた。その感覚を映画の主人公のひとりである老婦
人は「自分がいつも異邦人のような気持ちだった」と明かしている。
「湾生回家」は、そうした湾生たちの思いを、いまを生きる台湾の人々に「懐日」というトレン
ドのなかで、より深く理解させ、共感を得られたからこそ、ここまでの大ヒットになったに違いな
い。
◇ ◇ ◇
野嶋 剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト
1968年生まれ。上智大学新聞学科卒業後、朝日新聞社入社。シンガポール支局長、政治部、台北支
局長などを経験。京都大学非常勤講師。仕事や留学で暮らした中国、香港、台湾、東南アジアを含
めた「大中華圏」(グレーターチャイナ)を自由自在に動き回り、書くことをライフワークにして
いる。著書に「ふたつの故宮博物院」(新潮社)「銀輪の巨人?GIANT」(東洋経済新報社)
「ラスト・バタリオン?蒋介石と日本軍人たち」(講談社)など。