二度失った「故郷」移民村 遥かなニッポン 東台湾を歩く

【10月27日 西日本新聞】

 崩れかけた雨戸、半分はがれたトタン屋根、中をのぞくと土間や板の間があった。日
本の農家様式の2階建て木造家屋は、ツタに覆われ、寿命を終えようとしていた。

 花蓮県寿豊郷の南部は、日本統治時代に「豊田村」と呼ばれた日本人移民村だった。
一帯には今も当時の建物や石碑が残っている。

 台湾総督府は、日本の農村の過剰人口緩和と東台湾開拓のため、花蓮から台東にかけ
て谷間の平野に数カ所の農業移民村をつくった。豊田村への入植が始まったのは1913(大
正2)年のことだ。

 移民史の調査を続けている地域団体総幹事の楊鈞弼さん(48)によると、移民は九州、
四国出身者が多かったという。「日本とは気候も土も水も違う未開の地。苦労して耕し
た農地はたびたび暴風雨に見舞われた。マラリアにも悩まされ、薬が買えずに命を落と
した人も少なくなかった」

 それでも移民たちは、サトウキビや葉タバコの耕作をしながら生活を築き上げた。現
在は中国式寺院となっている旧豊田神社の参道には大鳥居が残っており、境内には42(昭
和17)年建立の「開村30年記念碑」もある。その石碑建立から3年後、日本は敗戦。移
民たちは家族の汗の結晶である家や農地を残し、わずかな身の回り品だけで、台湾を離
れることになった。

 引き揚げ者はのちに「豊田会」を組織し、10年ほど前までは時折この村を訪ねて、涙
ながらに思い出を語っていたが、既に高齢になり、最近は見かけないという。メンバー
の多くは関東在住だった。

 楊さんは、移民たちの引き揚げ後の苦労にも思いをめぐらせた。「30年以上も日本
を離れ、台湾に骨をうずめるつもりだった人たちだ。世代も代わり、故郷に戻っても家
も土地もない。職を求めて東京を目指したのだろう」     (台北・小山田昌生)


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