為な青年など約3万人が虐殺された。
それから68年目を迎えた昨日、柯文哲・台北市長が父親の柯承発氏や母親の何瑞英さんなどとと
もに、被害者親族の代表として台北市内で開かれた記念式典に出席。当時、小学校の教師だった祖
父の柯世元氏が無実の罪で拘留されたことが遠因で亡くなったことなどを振り返り、「悲劇が再び
起きないよう望む」と声涙倶に下る挨拶をした。
柯市長は、出席していた馬英九総統から挨拶後と式典終了後に握手を求められたものの応じな
かったという。中央通信社の記事を下記に紹介したい。
昨年3月の「太陽花学運(ひまわり学生運動)」後、台湾では政治に参加しようという雰囲気が
出てきたと言われるが、この「二・二八事件」の原因は台湾住民の政治参加を中国国民党が阻止し
たことにある。また、それに続く「白色テロ」により、台湾の人々から政治へ参加する意欲を削い
できた。
1987年(昭和62年)7月、台湾で38年間も続いた戒厳令が解かれた。まだ30年に満たない。人々
の記憶から「二・二八事件」や「白色テロ」の恐怖は消えていない。柯市長の挨拶がそれを示して
いる。
「二・二八事件」や「白色テロ」を直接的に知らない学生たちが勇をふるって蹶起したことで、
ようやく台湾の人々に政治に参加することで民意を反映しようという意識が芽生えてきた。それが
昨年11月末に行われた統一地方選挙に現れたと言っていいだろう。
柯台北市長、228事件記念式典で涙「悲劇が再び起きないよう望む」
【中央通信社:2015年2月28日】
http://japan.cna.com.tw/news/apol/201502280002.aspx
(台北 28日 中央社)戦後台湾の最大の悲劇と言われる1947年2月28日の「二・二八事件」から
68年となるきょう、柯文哲台北市長が被害者の親族の代表として記念式典に出席し、嗚咽で何度か
言葉を詰まらせながら、「悲劇が再び起きないよう望む」と語った。
柯氏の祖父にあたる柯世元氏は事件後、半月にわたって勾留され、釈放時には全身傷だらけで放
心状態に陥っていたという。その後病に伏せ、1954年に肺結核で亡くなっている。
柯氏は祖父が亡くなった当時を振り返り、「二・二八事件」は祖父の命を傷つけ、父の人生を傷
つけ、私の心を傷つけた」と述べ、事件は親子三代にわたって苦しみを与えていると指摘した。
同式典に出席した馬英九総統は挨拶の中で、「我々は事件の教訓を永遠に忘れてはならず、歴史
が繰り返されるのを許してはならない」と語り、柯氏に対して社会の調和に向けて協力を求め
た。
柯氏は式典で挨拶を終えた後、馬総統から握手を求められたが、これには応えなかった。
(黄名璽、黄麗芸/編集:杉野浩司)