中国に逃亡していた暴力団、竹連幇の元大幹部が「和平統一、一国両制」のパンフレッ
トで手錠を隠して里帰りした。中国を追われた盲目の人権活動家は訪台して「台湾独立は
時代遅れ」とのたまった。花蓮県では元軍人の県政府処長が兵役に就く若者を前に「統一
は必然」と宣言。大埔の強制立ち退きやら軍隊のいじめ事件やらで大騒ぎしている間に中
国の統一工作は着実に浸透している。
◆「竹林路聯合起来」と竹連幇
台北市から新店渓にかかる中正橋を渡って新北市に入り、間もなくの交差点、右に行け
ば文化路で左に行くと、外省人が多く住むという竹林路で、ここが竹連幇の発祥の地だ。
台湾のどこにでもあるような街並みが続き、少し先に元市政府だった永和公所。公所の隣
りに国父紀念館があるのはあるいは外省人が多いからなのか。この一帯の悪餓鬼たちがそ
の昔、「竹林路聯合起来」(竹林路いっしょに立ち上がろう)とグループ(幇)を作っ
た。これが竹連幇の前身だ。
6月29日帰国した大幹部は張安楽、通称「白狼」。竹林路の出身ではないが、16歳で仲間
になった。竹連幇は蒋経国の秘密を暴露した伝記を執筆した作家、江南の暗殺事件でも知
られる台湾最大の暴力団組織で、白狼は暗殺犯と接触があり、蒋家と事件の係わり合いな
ど事件の概要を語ったことでも名を売った。
白狼はなかなかのインテリだ。台湾随一の名門校、建国中学から淡江大学歴史学部に入
る。大学時代、竹連幇の淡水支部(淡竹)を設立した。淡江大学卒業後、大学院でも学
び、さらに渡米。米国では友人とレストラン経営の傍ら、大学でも学んだ。当時、江南事
件が起き、内情を知った。米国では麻薬犯罪容疑で逮捕、刑務所入り。帰国後、すぐに中
国で事業展開、その間に組織犯罪防止条例違反で1996年、台北地検から指名手配された。
◆「和平統一…」当局も黙認?
白狼は逃亡先の中国で「和平統一、一国二制度をスローガンに「中華統一促進党」(統
促党)を立ち上げ、自ら総裁となった。本部は台北。どこの国でも政治と黒社会(暴力
団)の結びつきはあるが、政治と黒社会が一体というのは極端だが、統促党は名ばかりの
政党ではない。
2006年、テレビの討論番組で党主席が意見の違う評論家を殴りつける事件を起こした。
生放送だからその一部始終が放映された。2009年3月、台湾を侮辱する発言をした自称、高
級外省人の外交官が帰国の際、抗議の民衆から外交官を守るための黒シャツ隊員を派遣し
た。同年8月、ダライラマの訪台では中国の五星紅旗を振って抗議運動を展開した…。一連
の行動からはその名の通り、中国の影が色濃い。しかもその行動は暴力的でさえある。
その暴力的な統一促進集団のトップが帰ってきた。形だけ手錠はかけたが、すぐに保
釈。手錠はパンフレットで隠し、そのパンフレットに書かれた「和平統一、一国両制」を
宣伝する形になった。当局側がその宣伝活動を黙認したとしかいいようがない。白狼が到
着した松山空港には「統一促進党」の旗が何本も翻り、中華愛国同心会の宣伝カーは中国
の国歌を流して熱烈歓迎していた。
◆いまや「分久必合」の時なのか
事情を知らない外国人がこの光景を見たら、台湾はもう中国の一部になったのかと思う
のではないか。台湾で世論調査をすれば、自分は台湾人で中国人ではないとする人が圧倒
的ではある。だが、同時に白狼たちのような言動もかなり広がっている。
その一つが花蓮県政府のお役人。この人は空軍の退役少将でもある。6月26日、兵役に就
く若者たちを送り出す場で「両岸の統一は必然だ。天下の事は合して久しければ必ず分か
れ、分かれて久しければ必ず合す…」と「三国演義」の一節を引き合いに挨拶した。
台湾軍の退役将軍で「国軍も共産軍も同じ中国軍」と公言した人がいた。しかも懲りず
に2回も同じことを言ったが、お咎めなしだ。さすがに花蓮の元少将は辞任に追い込まれた
が、あるいは台湾軍の幹部たちはすでに「統一」へ動き出しているのかとさえ思ってしま
う。
そこへ今度は中国の反体制側からも「統一」のお誘いがきた。台湾の人権組織などが招
いた中国の盲目人権活動家、陳光誠だ。滞在18日間に民主主義、人権、自由を賛美して回
ったが、民進党の主席との会談後、「台湾独立は時代遅れ、一国二制度を支持する」と公
言した。中国の反体制活動家でさえ、統一志向だ。
対する民進党は「個人の立場は尊重する」とあいまいな反応。民進党内でも「台湾独
立」を強調する人は消えつつある。今や「分久必合(分かれて久しければ必ず合す)」の
ときなのだろうか。
(敬称略、ジャーナリスト・迫田勝敏)