ご長男の小田村芳忠氏によりますと、小田村名誉会長は12月7日に呼吸困難に陥ったため三井記念病院に入院されたそうです。ところが、呼吸は整ったものの、9日の夜10時過ぎ、眠るように息を引き取られたとのことです。
葬儀は近親者のみの密葬で、神葬祭という神道形式にて12月12日に通夜祭、13日に葬場祭を行われたそうです。
小田村先生には、本会設立時は副会長として、初代の阿川弘之先生が会長を退かれてからは第2代会長として、まさに本会の歩みと軌を一にして本会活動を牽引していただきました。昨年3月に会長を退任して渡辺利夫氏に託されてからも、名誉会長として日台関係に深い関心を持ち続けられていました。これまでのご指導に心から感謝申し上げるとともに謹んで哀悼の意を表します。
下記に小田村名誉会長の略歴を掲載するとともに、本日(12月15日)付けの産経新聞が訃報を掲載していますので併せて紹介します。
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小田村四郎(おだむら・しろう)大正12年(1923年)10月17日、東京生まれ。昭和22年(1947年)、東京帝国大学法学部卒業後、大蔵省に入省。名古屋国税局長、内閣官房内閣審議室長、防衛庁経理局長、行政管理事務次官などを歴任し同53年(1978年)に退官。その後、農林漁業金融公庫副総裁、日本銀行監事などを経て平成7年(1995年)、拓殖大学第16代総長に就任(同15年退任)。同14年(2002年)12月、日本李登輝友の会設立と同時に副会長に就任し、同16年5月、阿川弘之会長の後継として第2代会長に就任。同28年(2016年)3月に会長を退任し名誉会長に就任。主な著書に『憲法と自衛隊』『占領後遺症の克服』『今、この国を救うもの−教育改革』など。
吉田松陰の朋友で群馬県令を務めた楫取素彦と松陰の妹寿子の曾孫で、台湾で匪賊に惨殺された「六士先生」の一人、楫取道明の令孫。靖國神社崇敬者総代、國語問題協議會会長、国民文化研究会会長、日本戦略研究フォーラム副会長、明成社社長などを務める。勲二等旭日重光章受章。平成29年(2017年)12月9日、逝去。
—————————————————————————————–元拓殖大総長、小田村四郎氏が死去【産経新聞:2017年12月15日】http://www.sankei.com/life/news/171215/lif1712150003-n1.html
保守派の論客として知られる元拓殖大総長、小田村四郎(おだむら・しろう)氏が9日、老衰のため死去した。94歳。告別式は近親者で行った。喪主は長男、芳忠(よしただ)氏。
大正12年、東京都生まれ。東京大法学部を卒業後、旧大蔵省に入省し行政管理事務次官などを務めた。退官後は、日本銀行監事、拓殖大総長などを歴任した。
保守運動にも精力的に関わり、日本会議副会長や日本李登輝友の会の会長を務めた。保守系書籍を出版する明成社を経営した。