台湾独立建国聯盟日本本部顧問の宗像隆幸(むなかた・たかゆき)氏が昨7月6日に亡くなられました。享年83。
今年6月はじめに転倒して肋骨などを折り、ご自宅で療養されていました。昨日朝、容態が急変して救急車で東京都内の病院に搬送されましたが、12時14分に息を引き取られたそうです。
武漢肺炎のPCR検査をするために時間を要し、まだご葬儀の日程は決まっていないそうですが、ご家族は武漢肺炎のことも心配し、家族葬を希望しているそうです。また、台湾独立建国聯盟日本本部は偲ぶ会を催したいという意向とのことですので、日取りが決まりましたら本誌でもご紹介します。
宗像氏は、本会を設立して2年後、阿川弘之会長が名誉会長に退き、小田村四郎・副会長が2代目会長に就任した2004年(平成16年)5月30日に理事に就任。以来、今年3月に退任するまで16年にわたって理事として、支部総会などで講演するなどご活躍いただきました。また、2011年8月に発足した「日米台の安全保障等に関する研究会」のメンバーとしても、台湾情勢についてのご見解をお話しいただきました。
宗像さんは李登輝元総統とも2002年10月と2006年2月に単独でお会いして親しく話されており、『台湾建国』(まどか出版、2008年2月刊)を出版したおりには、李元総統から「日本人にも台湾人にも読んで欲しい本」との推薦の辞をいただき、ご自身についても「宗像君が台湾の自由民主主義のために人生の大半を捧げてきたのは、自由主義に対する確固たる信念と同時に、台湾と日本が運命共同体であることを認識しているからでしょう」というお言葉をいただいています。
李元総統から「確固たる信念の持ち主」との評価をいただいた日本人は、おそらく宗像さん以外にいないのではないかと思われます。
これまでのご尽力に深く感謝申し上げ、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心から哀悼の意を表しご冥福をお祈りいたします。
下記に宗像氏のプロフィールをご紹介します。また2006年(平成18年)11月9日、台湾独立建国運動の同志で、金美齢さんのご主人の周英明さんが亡くなられた折、本誌に追悼文「周英明さんを偲ぶ」を寄稿していただいた。当時の台湾からの留学生がどのような思いで台湾独立運動に飛び込んで来たかよく分かり、宗像さんの同志への思いにあふれた一文です。別途、ご紹介します。
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宗像隆幸(むなかた・たかゆき)1936年(昭和11年)9月9日、鹿児島県生まれ。明治大学経営学部卒業後、出版社に勤務していた1961年夏、許世楷氏に誘われ台湾青年社に参加、1961年8月号から月刊化した『台湾青年』の編集に従事。1985年から停刊する2002年6月まで同誌編集長を務める。1970年1月、台北市で軟禁されていた彭明敏・台湾大学教授を秘密裡に脱出させてスウェーデンに亡命させる。アムネスティー・インターナショナル日本支部理事、台湾人元日本兵の補償問題を考える会幹事、台湾安保協会幹事、台湾独立建国聯盟日本本部中央委員、日本李登輝友の会理事などを歴任。台湾独立建国聯盟総本部顧問。
著書に『ロシア革命の神話』(自由社、1987年)『台湾独立運動私記』(文藝春秋、1996年)『存亡の危機に瀕した台湾』(自由社、2006年)『台湾建国─台湾人と共に歩いた47年』(まどか出版、2008年)『台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂』(自由社、2013年)など。王育徳氏との共著に『新しい台湾─独立への歴史と未来図』(弘文堂、1990年)。
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