白冷[土川](はくれいしゅう)を造り、地元の人々に“命の水”をもたらした「水利の
父」「白冷圳の父」と称えられている磯田謙雄(いそだ・のりお)技師の銅像除幕式
が行われた。関係者の労を多として心から祝意を表し、磯田技師の出身地である金沢市の
北國新聞が伝えているので下記に紹介したい。
銅像は、金沢市日台親善議員連盟の働きかけにより、台中水利局が謝棟[木梁]氏に制作
を依頼して白冷[土川]故事牆園区に銅像を建立したという。
11月21日から予定している第20回日本李登輝学校台湾研修団では白冷圳を訪問、台
中にお住まいの許世楷・元台北駐日経済文化代表処代表にご案内していただく予定なの
で、これでまた楽しみが一つ加わった。
ちなみに、記事で磯田技師をたたえるために作った歌「水利の父」を紹介しているが、9
月29日付けの同紙によれば、この顕彰歌は磯田技師の顕彰活動に取り組む金沢市日台親善
議員連盟の安達前(あだち・すすむ)会長と松村理治(まつむら・としじ)副幹事長の働
き掛けで実現し、作曲は乙田修三氏(作曲家、石川県歌謡文化協会理事長)、作詞は勝田
徹氏(金沢市老舗記念館館長)によるものだという。歌詞は以下のとおり。
一、ふるさとはなれ 台湾の
広がる緑 夢に見た
苦難を乗り越え 先人の
業(わざ)と魂(こころ)を受け継いだ
水利の智恵で成し遂げた
あゝ白冷圳
生命(いのち)はぐくむ 水の路(みち)
語り継がれる 語り継がれる その偉業(すがた)
二、遠くの昔 台湾で
大地の恵み 夢に見た
彼(か)の地で尽くした 業(わざ)の跡
敬い 親しむ 台中(タイジョン)と
強い絆で繋がった
あゝ白冷圳
生命はぐくむ 水の路
今もよみがえる 今もよみがえる その偉業
磯田技師の功績永遠に 台湾で銅像除幕
【北國新聞:2013年10月16日】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131016-00068807-hokkoku-l17
【台中=絹川裕之】日本統治時代の台湾・台中で農業用水「白冷●(はくれいしゅう)」
を造った金沢出身の磯田謙雄(のりお)技師の銅像除幕式が15日、台中市新社区の公園で
行われた。日台交流の新たなシンボルの完成に、関係者約300人が磯田技師の偉業を語り継
ぎ、友好の絆を深めることを誓った。
除幕式で、磯田技師の長女松任谷良子さん(85)=東京都杉並区=は涙を浮かべながら、
「銅像になった父は白冷●とともに永遠に生き続ける」とあいさつし、建立した台中市政
府や地元の住民団体に感謝を伝えた。
台中市の徐中雄(じょちゅうゆう)副市長が「白冷●はわれわれに福を与えた。功績を
永遠に残すための銅像だ」と述べた。金沢市日台親善議員連盟の安達前(すすむ)会長
は、昨年の通水80周年式典で、台中市に建立を働き掛けた経緯を紹介した。
白冷●は全長約17キロで1932年に完成し、逆サイホン技術で山や谷を越えて敷設され、
流域に恩恵をもたらした。
磯田技師の銅像はベンチに腰掛け、巨大水管を見守るように設置された。遺族の提供写
真を基に現地の著名な彫刻家が手掛けた。
式には、石川県から金沢市日台親善議員連盟、金沢市代表団、「八田技師夫妻を慕い台
湾と友好の会」、同市城南公民館の代表者ら約30人が出席。金沢市の糸屋吉廣企業局長、
友好の会の中川耕二世話人もあいさつした。
式典後に開かれた台中市の歓迎会で、県歌謡文化協会理事長で作曲家の乙田修三さんが
技師をたたえるために作った歌「水利の父」のCDが流された。議員連盟を中心とする訪
台団は16日帰国する。
●は土ヘンに川