えしました。すると、朝7時くらいから蔡先生のご自宅の電話が鳴り始め、昨日一日、断続的に電
話の対応に追われたそうです。中には、「メールマガジン日台共栄」を見たという方もいたそうで
す。
本日の産経新聞「産経抄」も蔡先生の受章を取り上げ「蔡さんにより『日本』に対し目を開かさ
れたのは、むしろ日本人自身かもしれない」と、とても大事なポイントを指摘しています。
今朝の「産経抄」を読んで、蔡先生との電話で京都における桜の名所の話になったときのことを
思い出しました。京都にほとんど縁がない編集子がまったく答えられないのに対し、蔡先生は有名
なお寺の名前などを挙げ「今度、僕が京都を案内してあげるから」と笑いながら言われ、その慈愛
のこもった楽しそうな声がいまだに忘れられません。
蔡先生はまた、本会事務所に電話をいただくと、受話器を取ったスタッフに必ずと言っていいほ
ど「きょうは何の日ですか」と問いかけられます。スタッフが答えられないと「あなたは日本人で
すか。もっと勉強しなさい」と笑いながらやられてしまう。
次の段階は俳句や和歌です。蔡先生が電話口で「名月や」と言い出し「はい、次は?」と問いか
けられます。すぐ「池をめぐりて夜もすがら」と答えられないと、楽しそうな声で「あなたは日本
人ですか」とまたやられてしまいます。
それは俳句や和歌に限らず童謡や軍歌などにも及び、蔡氏の博覧強記は留まるところを知りませ
ん。日本人なら日本の歴史や芭蕉の句くらい知っておいて欲しいという親心なのかもしれません。
そんなことを思い出させる今朝の「産経抄」でした。
改めて、蔡焜燦先生をはじめ叙勲の栄に浴された廖一久、呉金璞、鄭正秀の各氏に心から祝意を
申し上げます。
なお、昨日の本誌で、外国人受章者数について「ドイツ(7人)、アメリカ(6人)」と記しまし
たが、ドイツは6人でしたので訂正いたします。
【産経新聞:平成26(2014)年4月30日「産経抄」】
旭日双光章を受章した蔡焜燦(さい・こんさん)さんは日本統治時代の台湾・台中市の生まれで
ある。司馬遼太郎さんの『台湾紀行』の表現では「18歳まで日本人」だった。志願して陸軍少年飛
行兵となり、奈良市にあった岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊で教育を受ける。
▼10年以上前、蔡さんと食事をした機会に、その話をうかがったことがある。「じゃあ白毫寺
(びゃくごうじ)のあたりですね」と知ったかぶりで教育隊のあった場所を尋ねた。すると間髪入
れず「違う違う。新薬師寺の所をこう曲がって」といったふうに、正されてしまった。
▼終戦とともにすぐ台湾に帰られており、奈良滞在はごく短期間のはずだ。しかもそれから半世紀
以上がたっていた。それなのに、この確かな記憶力である。奈良の地誌や社寺についても実に詳し
く教えていただき、関西で長く生活していた者としては赤面するしかなかった。
▼短期間でも全身全霊で奈良、いや日本の文化を体にたたきこもうとしたからだろう。帰台後も剣
道、短歌、俳句など日本文化に親しみ、台湾歌壇の代表もつとめている。台湾で蔡さんに食事に招
かれる若い日本人は、その造詣の深さに驚かされることが多い。
▼29日の本紙「人」欄によれば、そんなとき蔡さんは日本人をこう言って諭すのだそうだ。「食事
の礼として、君は祖国を愛しなさい」。戦後教育や一部の国からの歴史攻撃で、自国の歴史や文化
への誇りを失いがちな日本人にとって「目から鱗(うろこ)」に違いない。
▼蔡さんの受章の理由は日本文化の紹介による対日理解の促進に寄与したということらしい。それ
は素晴らしいが、蔡さんにより「日本」に対し目を開かされたのは、むしろ日本人自身かもしれな
い。そのことへの感謝の念も忘れてはなるまい。