国や台湾が根拠とする史料を徹底的に検証し、逆にそれらの史料は尖閣が日本領だったこ
とを証明していることを明らかにして、尖閣問題に新たな視点を提示してきた。
石井氏はこのたび、中国が領有の根拠文献の一つとする明国の史料は、尖閣の「無主地
確認」が明治の領土編入より280年も前を証明していると指摘。またしも中国側の文献的根
拠を突き崩した。
それを伝える「八重山日報」は「尖閣を『日本が盗んだ』と非難する中国政府の主張が
成立しないことを示す有力な証拠になりそうだ」と記す。その記事を下記に紹介したい。
なお、この「無主地確認」については、すでに本誌で一度お伝えしている。詳しくはバ
ックナンバーからご覧いただきたい。
◆【尖閣】 石井望・長崎純心大准教授が江戸初期から無主地だった決定的資料を発見!
http://melma.com/backnumber_100557_5767946/
尖閣「無主地」 江戸時代に確認 領土編入の280年前 中国の非難成立せず 石井准教授発表
【八重山日報:2013年3月17日】
1616年、当時の徳川政権が明国(中国)に対し、尖閣諸島がどこの国にも属さない「無
主地」であることを確認していたことが16日までに、明国側の漢文史料で明らかになっ
た。日本政府は明治28年(1895年)に尖閣が無主地であることを確認して領土に編入した
が、漢文史料を発掘した長崎純心大の石井望准教授は「この史料で日本側の確認の年代が
280年繰り上がる」と指摘。尖閣を「日本が盗んだ」と非難する中国政府の主張が成立しな
いことを示す有力な証拠になりそうだ。
石井准教授が新事実を発見した史料は、明国の「湘西紀行(しょうせいきこう)」「東
西洋考(とうせいようこう)」「盟鴎堂集(めいおうどうしゅう)」の3種。
それによると、元和2年(1616年)、日本から台湾征討のため派遣された使者明石道友
(あかしどうゆう)が漂流し、福建沿岸の東湧島(とうゆうとう)(今の馬祖列島東端)
に停泊した。
その際、明国の偵察員に対し「大明の境界に入らず」(明国の領土には立ち入っていな
い)と述べた。明石は出航前にも、長崎代官から「天朝(てんちょう)の一草一粒(いっ
そういちりゅう)をも犯すを許さず」(明国の領土に立ち入るな)と厳命されていた。
石井准教授は「明国の領土を犯さないように、東湧から東が無主地だと事前確認した上
で渡航したことを史料は示している。当時の尖閣航路は季節風を利用する帆船の一本道。
その西の出入口に東湧が位置するため、尖閣航路全体を無主地として日本側が確認してい
たことが分かる」と分析した。
1895年に日本政府が尖閣を領土に編入したことについて「明治の確認は決して一夜づけ
でなかったことが明らかになった。中国側の『盗んだ』などの主張は全く成り立たない」
と強調した。
石井准教授は、2月4日に開かれたキャノン・グローバル戦略研究所の研究会で今回の研
究成果を発表。「島嶼(とうしょ)研究ジャーナル」(島嶼資料センター)4月最新刊にも
掲載する。