売新聞のインタビュー記事は早速台湾メディアによって大きく取り上げられています。
特に、「対日顧問役に就任か」の部分については各識者のインタビュー等も流され、台
湾国内でも大きな反響を呼び、李前総統の影響力が健在であることを示しています。
■台湾メディアの報道
http://www.ritouki.jp/pdf/20080404central-01.pdf
李前総統は、3月の総統選挙で投票2日前になって民進党の謝長廷氏支持を表明したも
のの、謝氏は200万票の大差で敗退。その結果から、「李登輝前総統の政治的影響力は
費えた」とする報道も見受けられました。
しかし、本誌でもお伝えしたように、先週も、産経新聞による独占取材で馬英九氏へ
の評価や今後の日台関係についての展望を述べ(3月27日発行、第728号)、その産経新
聞記事も今回と同様に台湾メディアで大きく報じられており、李氏が日台関係について
未だ強い影響力を保持していることが台湾国内では再認識されています。
やはり、混乱する台湾にあって「日台関係は中台関係以上に重要」「中国は、複雑な
内部の問題処理に追われ、台湾問題まで手が回らない」と、台湾にとっての重要なポイ
ントを冷静に、かつ的確に指摘する李前総統の指導者としての力量が見直されつつある
ようです。
本会ホームページで産経新聞(3月26日付)と読売新聞(4月4日付)のインタビュー
記事を掲載しています。
■日本李登輝友の会ホームページ
http://www.ritouki.jp/
読売のインタビューが掲載された昨日、産経新聞が李登輝前総統と建築家の安藤忠雄
氏との対談を2ページの見開きで掲載していました。
李前総統は安藤忠雄氏とは初対面だったそうですが、講演や論考の中で安藤氏の仕事
ぶりに言及し、また、安藤氏は台湾では最も関心の高い建築家であり、司馬遼太郎記念
館や西田幾多郎の哲学館(石川県かほく市)などの設計を通じて、間接的に李前総統の
考えをよく理解していたようです。
世界的な政治家と建築家、住む世界は異なるにもかかわらず、その世界観や価値観が
一致しているのは不思議な感じもしましたが、対談では「場所の論理」がキーワードと
なっていて、得心するところがあります。
4つに分けている対談ですので、4回に分けてご紹介します。 (編集部)
【対談】李登輝前総統・安藤忠雄氏─日台の未来 地球の未来(1)
【4月4日 産経新聞】
総統選挙によって8年ぶりに政権が交代する台湾。この政権交代の制度を打ち立てた
前総統の李登輝氏と、日本を代表する建築家の安藤忠雄氏が台北郊外にある李氏の私邸
で対談を行った。二人は初対面だったが、作家の故司馬遼太郎氏にかかわる思い出話か
ら打ち解けた。話題は日本や台湾にとどまらず、情報化社会の進展、地球環境など人類
全体が直面する問題に及んだ。 (司会 長谷川周人台北支局長)
■ 1 偶然─歴史学び「脱古改新」
長谷川 お二人は初対面だそうですね。
李登輝氏 そうそう。けれど、先生の講演は読みましたよ。フランス建築アカデミー
大賞を受賞(1989年)した時の話は素晴らしかった。それに台湾で先生は一番人気の建
築家。実はね、うちの孫娘(李坤儀さん=26)も先生の大ファンなんだ。英国留学の後
にイタリアで設計やデザインを勉強して、台湾に戻ってからは家や家具に興味を持った。
政治屋にはならないというんだなあ(笑い)。
安藤忠雄氏 光栄です。ぜひ今度、お孫さんと大阪方面においでください。私が設計
した司馬遼太郎記念館をご案内します。
李氏 司馬先生の記念館、まだ見ていないんだな。昨年の訪日に続く「奥の細道」を
たどる旅もあるが、大阪と京都にはもう一度行きたい。その時に司馬先生のご自宅にお
邪魔し、記念館も見てみましょう。
安藤氏 司馬さんの紀行文「台湾紀行」に李登輝さんのことが書いてありますね。し
かも司馬さんは、李さんがアジアの指導者として重要な役割を果たしていると評価して
いた。今日のテーマにもなりそうですが、李さんは今、これからの国際社会が、特にア
ジアがどう歩んでいくべきだとお考えですか?
李氏 司馬さんとの出会い、懐かしいなあ。台湾に生まれ、台湾に育った台湾人は、
400年にわたって外来政権に統治されてきた。だからこそ、台湾の人には「われわれが
台湾の主でありたい」と願う気持ちが強くあります。そこにいくつかの偶然が重なり、
今の「民主台湾」がある。蒋経国(蒋介石元総統の長男)という総統がいたからこそ、
私が(台湾人初の)総統になれたのです。
この偶然を利用して、台湾の民主化と経済発展を進め、日本との関係も再構築したい。
そう考えたときに司馬さんとの出会いがあり、おかげで私は台湾政治をひっくり返す考
えを対外的に発表できた。結局、司馬先生との出会いがあるまで、私は外に向かって新
しい台湾を訴えることができなかったのですよ。
長谷川 偶然、ですか?
李氏 そうだよ、偶然だ。台湾の過去を振り返れば涙が出る。だが私は歴史を学ぶが、
批判はしませんよ。見るのはいつも将来。私のいういわゆる「脱古改新」だな。副総統
時代、過去の過ちに学んで将来に向かうべきだ、そう考えていたところ、幸いにして総
統になった。ただ、なぜ蒋経国が私を選んだのか、今もよくわからないなあ。
正直にいうと、僕は彼をよく知らない。ところが、彼は僕を気に入っていたようだ。
なぜか。僕の仕事のやり方は中国式ではなく日本式だからかな。まじめくさってなんで
もきちっとやり、彼の前では手を膝(ひざ)に置いて背筋を伸ばして座る。取り巻きの
中国人とは少し違う、と思ったのでしょう。
安藤氏 司馬さんが台湾を訪れたことは、単に作家が取材に来たという以上の大きな
意味があったわけですね。司馬さんはアジアの将来を一生懸命に考えていました。特に
日本、中国、台湾、そして韓国がバラバラにならぬようにと。李登輝さんとは、お年だ
けでなく、考え方も近いものを感じます。
李氏 西田幾多郎哲学のいう「場所の論理」でしょ。でもちょっと待って。その司馬
先生がね、台湾にやってきたときのことを思いだした。(東海岸の)台東などを回ると
いうので、私がガイド役を申し出たことがありました。私なら台湾の隅々まで知ってい
るからね。ところが彼は辞退した。「台湾に関する資料は貨物列車1台分はあります。
どうぞご心配なく」と。彼は本当に台湾をよく知っていましたよ。勉強しているんだな
あ。 (続く)
李登輝氏 1923年、台北県生まれ。43年、京都帝国大学農学部入学後に学徒出陣。戦後
は帰台して台湾大学に編入。68年、米コーネル大学で農業経済学の博士号を取得。中国
国民党に入党後、台北市長、副総統などを歴任、88年、蒋経国総統の死去に伴い総統に
昇格。96年、台湾初の総統直接選挙で圧勝。2000年、国民党主席辞任後、党籍を剥奪さ
れ、独自の政治活動を繰り広げている。
安藤忠雄氏 1941年、大阪生まれ。69年、安藤忠雄建築研究所を設立。79年、日本建築
学会賞、96年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。91年にはニューヨーク近代美術館で
日本人初の個展を開催。97年、東京大学教授、2003年から名誉教授。同年、文化功労者。
代表作に「住吉の長屋」(大阪市)「六甲の集合住宅」(神戸市)「光の教会」(大阪
府茨木市)など。