――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習32)
執筆陣を占めるのは、「共産皇帝」の毛沢東を除いた当時の共産党最高首脳陣である。言い換えるなら『輝煌的十年』は彼らの“自画自賛”の集まりであり、同時に皮肉を込めて表現するなら精一杯の夢物語でもあるわけだ。
いずれも懐かしい名前ばかりである。それだけに、彼らのその後、彼らが歩まざるをえなかった疾風怒濤の人生を改めて振り返ってみれば、『輝煌的十年』の共同執筆と言う作業は、互いが心に含むところなく「同志」と呼び合うことのできた牧歌的で幸せな時代の、最後に訪れた一瞬の“輝煌”ではなかったか。いま思えば、彼らの精神は夢のように高揚していたに違いない。
自画自賛の輝ける最初の10年が幕を閉じ、「二回目の十年」が始まることになる。すると程なく、北京の奥の院では権力をめぐっての権謀術策が渦を巻き、文化大革命に向かって時代が動き始めるのであった。
それにしても当時の共産党政権中枢は互いが先を競いでもするかのように、夢物語を書き連ねている。
たとえば文革で悲惨極まり体験を嘗めさせられ、その後は“殉教者”の如くに祭り上げられた劉少奇にしても、先ずは「中国革命の勝利は中国社会の生産力を徹底して解放し、社会主義建設を一日千里の猛烈な速度と勢いで前進させたがゆえに、貧しく遅れた中国の姿を超高速で改変させた。全国解放後の最初の3年間、つまり1950年から52年の間、国民経済を回復させるという任務は順調に回復し、農業生産は旧中国の最高水準を達成した」とブチ上げる。
このようにして第1次5ヵ年計画が完成した57年になるや、「工業化のための初歩的な基礎をうち立てた」。第2次5か年計画が始まった58年には「国民経済は大躍進が達成され、57年に較べ工業生産は66%、農業生産は25%と、それぞれ増加している。〔中略〕工業主要産品の生産量は、すべて第2次5か年計画が想定した62年の完成目標に近似で、あるいは超過して達成されるだろう。中国社会の生産力のこのような超速の発展は、どのような資本主義国家でも較べることはできないし、もちろん旧中国においては夢想すらできなかったことだ」と成果を誇った。
かくして論文は、「我われをしてマルクス・レーニン主義の旗を高く掲げ前進させしめよ! 全世界におけるマルクス・レーニン主義勝利万歳!」と締め括られる。
だが、現実はそうではなかった。
たとえば食糧生産量を見ると59年は1.7億トンで54年の水準に、60年と61年は1.4億トンで51年の水準まで下がってしまう。食糧不足は危険水域を超え、58年から3年間に推定で2000万人から4000万人前後が餓死している。現実を無視し、国を挙げて大躍進に狂奔した結果の飢餓であった。
それにしても60年代、つまり「二回目の十年」が悲惨であればあるほどに、『輝煌的十年』と力み返る彼らの姿が可笑しくもあり、痛々しくもあり、ブザマでもある。
ここで不謹慎なお願いを。いま習近平が『輝煌的十年』の頁を繰ったとして、どのような読後感を持つだろうか。是非とも聞いてみたいものだ。
『輝煌的十年』から2か月遅れた59年11月、『漢語成語小詞典』(北京大学中文系1959年語言班編 商務印書館)が出版された。
『漢語成語小詞典』の冒頭に掲げられた「親愛なる祖国に捧げる」と題された「序」は、「本詞典は我ら17人の同級生の20日間に及ぶ労働における力戦敢闘の成果であり、我らが十・一国慶節への捧げ物であり、工農兵大衆に対するお礼である」と書き出される。《QED》