みなさまは一般財団法人台湾協会をご存知でしょうか。
先般3月3日、台湾川柳会25周年記念大会の際、同協会の森田高光理事長がわざわざ東京から駆け付けて、感謝状をくれました。元理事長の斎藤毅様も当会会員です。
1945年終戦により、1946年台湾からの引き揚げが始まり、同年11月に「台湾引揚民会」が結成されました。一方、1950年には旧台湾財界関係者が中心になって(財)台湾協会が結成されました。後に、台湾引揚民会と(財)台湾協会が統合され、台湾関係者の連絡、親睦、援護、厚生を図る事を目的に、(財)台湾協会が発足されました。2013年に今の(一財)台湾協会になり、2017年には外務大臣表彰を受賞しております。
台湾協会と台湾川柳会のつながりは、同協会の機関誌、台湾協会報の学芸欄にいつも台湾歌壇の短歌、台北俳句会の俳句、台湾川柳会の川柳が掲載されているからです。
その台湾協会報に川柳を掲載するようになったのは、前理事長の根井冽先生の取り計らいがきっかけです。
前置きが長くなりましたが、今般、根井夫婦は2人の子息を連れて、幼少滞在していた縁の地を旅行され、小生も同伴しました。
因みに、当時、根井先生の祖父は台北第二師範学校の初代校長、外祖父は台北地裁裁判長、父親は台湾総督府の財務官だったという。
根井先生と奥様は、共に昭和13年台湾生まれで、いわば「湾生」。夫婦共に台湾大学病院に生まれ、終戦当時、共に台北師範附属国民学校に在学中でした。
戦時中、当時小学生の根井先生は台北近郊の陽明山、奥様は北投の陸軍衛戍病院の近くに疎開しました。
小生にとって、一大発見は、陽明山に鳥居が残ってたこと。すなわち表題の写真。たびたび、陽明山に散策しますが、鳥居があることは知りませんでした。
根井先生によると、陽明山に疎開した際、近辺に清瀧神社がありました。神社は当時、台湾の炭鉱実業家、山本義信氏が事業の安全祈願のために立てたもの。終戦後、神社が取り壊され、辛うじて鳥居だけが残り、今では陽明山国家公園の構内でひっそりと佇んでいます。
小生は台北に60年近く住んでいましたが、湾生と共に巡ると、改めてその土地の歴史を再認識することができて、大変意義のある旅でした。
ps.台湾協会に興味ある方、同協会のホームページをご覧ください。http://www.taiwankyokai.or.jp/
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杜 青春(ト・セイシュン)
台湾台北在住。台湾川柳会代表。台北俳句会、春燈俳句台北句会、台湾歌壇の会員。2014年、台湾川柳会20周年を機に江畑哲男氏・台湾川柳会共著で「近くて近い台湾と日本〜日台交流川柳句集」を出版。