1949年(昭和24年)生まれ。来日後の71年から73年までにヒット曲「雨の御堂筋」「雨のエアポート」「夜汽車」を飛ばした。来日後の22歳から24歳の時期だ。28歳のとき日本人実業家と結婚し、83年からロングセラー「ラヴ・イズ・オーヴァー」を世に送る。
欧陽菲菲より1歳年下のジュディ・オングは幼い時に家族と来日し、71年の日中国交正常化を機に、家族で日本に帰化した。4年下で、20歳で台湾から来日したテレサ・テンも、日本で人気の歌手であるが、87年からの香港を拠点とする中国大陸の民主化運動に足を踏み入れたことも影響し、42歳で早世した。
日本にもなじみのあるこれら歌手3人を見ると、日本に生活の軸足を置いて、72年の日中国交正常化(日台断交)に影響を受けないような生活をされた欧陽菲菲とジュディ・オングはその後の安定された人生を送っているように思う。
欧陽菲菲の73年のヒット曲「夜汽車」(作詞橋本淳、作曲筒美京平)の出だしは、「希望という名の夜汽車にゆられ/女心はどこまでいくの……」とある。スピード感、リズム感があって私も好きな曲だ。台湾の方が「隣国」をどう感じているか私にはわからない。しかし、13億を超える世界一の人口を擁する大国の国民がいまだに一度も投票用紙を手にしたことがないのであるから、台湾の方は相当の違和感を抱えているはずだ。希望という名の夜汽車にゆられる気持ちではないか。彼女たちの親世代は、72年の出来事を憤懣やる方ない気持ちであったろうし、その後の彼の国の改革開放政策も手放しで喜んでいるとは思えない。そんな親世代の言葉は彼女たちの人生にも影響を与えたと思う。
欧陽菲菲は現在69歳。結婚生活は41年間に及び、最近2016年には最愛の夫を見送った。欧陽菲菲の夫となった式場壮吉氏(元レーサーで実業家)は、台湾と日本との間のバリアとなり、妻を守ってきた存在ではなかったかと思う。子宝には恵まれなかったが、2人で歌手欧陽菲菲の台湾と日本での長い芸能生活を維持していくのは並大抵のことではなかったと思う。
台湾人を選んだテレサ・テン、日本人を選んだジュディ・オング、そして一番難しい両方を選んだのは、欧陽菲菲だったのではないかと思う。デビュー当時とあまり変わらない日本語で、明るくふるまう欧陽菲菲を今後も応援したい。