台湾では、旧暦の七月を「鬼月」という。閻魔大王とも呼ばれる「地蔵王菩薩」がこの世と地獄を隔てる「鬼門」をひらき、亡者たちがあの世から戻ってくる。現代日本でいう「お盆」があの世から先祖を迎えることを意味するのに対し、台湾の鬼月で迎えるのは、好兄弟(ハオションディ)と呼ばれる、身よりのない亡者の魂だ。
◆台湾・鬼月のタブーとは
旧暦にもとづくので鬼月の時期は毎年異なるが、今年2018年は8月11日からはじまり、次の新月である9月9日まで一ヶ月つづく。鬼月のあいだは色んなタブーがあり、大きくいえば結婚や引っ越し、不動産取引を避けるのが習わしだが、他にも色々な禁忌がある。たとえば、
1.赤い服を身に着けることや、女性の赤い下着はとくに避ける。好兄弟にまとわりつかれやす く、疲れやすい。大事なときに力がでない(赤色はあの世と通じやすい色だから)
2.夜に服を干さない(好兄弟が自分の上着だと思って居付く)
3.ひとりで海に行かない(水鬼に引き込まれやすい、日本でもお盆に海に入るなと言われるの は、同じ理由と思われる)
4.夜10時の公園や山の上には行かない(好兄弟が集まっているから)
5.路上に落ちてるお金を拾わない(好兄弟のものかも知れないから)
6.後ろを向いて歩かない
7.肩から上だけの写真はなるべく撮らない(人間の身体のうえには三つの火が灯っており、写真 を撮られるとそのひとつが消え、好兄弟に身体を乗っ取られる)
8.夜遅くに家人の名前を大声で呼ばない
9.壁に寄りかかりながら歩かない(好兄弟は壁と服をつけて休むことを好み、仲間と思われる)
10.一人でいるところで、肩を叩かれたりフルネームを呼ばれても振り向かない
11.最終バスになるべく乗らない
12.口笛を吹かない(好兄弟は、口笛の音を好む)
13.ごはんに箸を立てない(箸を立てるのは死者へ食事を奉るときの作法であり、好兄弟が自分に 分けてくれたと思い寄ってくる)
14.風鈴を枕元にかけない(風鈴の音は、好兄弟の好きな「陰」の気を誘う)
15.老人や子供など比較的からだの弱いものは、夜の外出を避ける
などなど、台湾人でも一般的には知らない細かいことも色々あるが、なかなかゾッとさせられる。
◆「無縁仏」をもてなすようになったワケ
旧暦7月15日には「中元節」といい、一年の中で一番盛大な拜拜(バイバイと呼ばれる法事)をして、鬼月の間に地獄から出てきて彷徨っている好兄弟(無縁仏)をもてなし、紙錢を燃やして冥福を祈る。道教では「中元普渡」、仏教では「盂蘭盆(うらぼん)」と呼ばれる施餓鬼会(せがきえ)である。
道教の最高神・玉皇大帝には三人の兄弟がおり、この中元の日は三兄弟の中のひとり、地官大帝(清虚大帝)の誕生日に当る。かつて身寄りのない寂しい魂を憐れにおもった地官大帝が「自分の誕生日は祝わなくて良いから、無縁仏の魂を祀るように」と仰せになったことから、中元普渡の拜拜(バイバイ)は現在の形を取るようになったと言われている。
この日の特色は、多くのお供え物と一緒に水を張った洗面器とタオルが置いてあること。さまよい疲れた好兄弟に身づくろいして疲れを癒してもらう。鏡やクシ、石けんや歯ブラシ、美顔パックを供えるところもある。この風習が日本では、お世話になった方への贈り物の習慣として、いつしか定着したのが「お中元」なのだろう。
◆CM打ち切り騒動で蘇る、台湾民主化に命を捧げた人々
お中元のシーズンが日本のデパートにとっての商機であるのと同じく、台湾でもスーパーなどの小売り商にとって「中元普渡」は夏最大の繁忙期だ。そんな時、台湾の大手スーパーチェーン「全聯」が作ったCMがネットで大炎上し打ち切りになる事件が起きた。CMの中に出てくる黒猫を抱いた青年の「好兄弟」が、白色テロによって殺された疑いのある天才数学者の陳文成氏を暗示する、というのがその理由である。
「全聯」は、自分たちのCMが政治的な意図をもって解釈されることに遺憾を示し、すぐさまCMの撤回を発表。しかしその後、3日限定でYouTubeで公開されたCMの完全版が多くの人のSNSでシェアされ、更なる話題となった。
完全版では、日本人らしき母娘、戦後に兵隊で移民してきた老人、件の数学者らしき青年が「身寄りのない霊」を代表して、中元普渡でもてなして貰える事への御礼をそれぞれ日本語/國語(中国の地方訛りのある北京語)/台湾語で述べる。筆者はこの映像を見て、多様な歴史の積み重なりを自らのアイデンティティーとして昇華しようとしている台湾ならではの、台湾でしか出来ない素晴らしい作品と感じた。
一番目・二番目の人物についても、台北空襲で亡くなった日本人母娘か、はたまた日本人ではなく日本時代に教育を受け同じく白色テロの犠牲者である丁窈窕ではないかとの説や、二番目の訛りのある北京官話を話す老人についても、雷震(浙江省出身で雑誌『自由中国』を創刊した)、殷海光(湖北省出身、台湾戒厳令下の自由主義の父と呼ばれる)、柏楊(河南省出身、自由と人権をテーマに掲げ「台湾の魯迅」と呼ばれた作家)ではないかなど、様々な憶測が飛び交った。
何も知らずに見ても心をつかまれるし、深読みにも誘われるのは優れた作品である証拠と思うが、むしろ真相がどうかと言うより、あの人かもこの人かもと台湾の今に連なる人々に思いを馳せること、本当はこのような形で亡者たちがこの世に戻って来るのが本来のお盆であり鬼月であるのだということを、この作品のおかげで改めて気づかされた。また現在の台湾にある自由と民主は降って湧いたものではなく、かつてその影に多くの命を懸けた方々がいたことに、台湾の若い方達がこのCMのお陰で興味を持ち始めたことも、とても喜ばしいと感じる。
◆「死」の存在の身近さが「生」をより際立たせる
台湾で暮らしていると、「死」の世界を日本よりもずっと身近に感じる。台湾の暮らしの中の「生」がとてもエネルギッシュなのは、そうしたすぐ傍に存在する「死」が生をより際立たせているからかも知れない。今年の中元節は8月25日。この前後に台湾へ旅行すれば、中元普渡の盛大な「拜拜」を台湾のあちこちで見かけることができるだろう。そんな時、この記事を思い起こして、これまで台湾の歴史を作ってきた人々に少しでも想いを馳せていただけると嬉しく思う。