「ヴェクター21」12月号より転載
鈴木上方人(すずき かみほうじん)中国問題研究家
2015年11月7日、シンガポールで行われた馬英九・習近平首脳会談は国際社会のビッグ・ニュースとなった。会談という形にはしているが、実際は習近平が訪問先のシンガポールに馬英九を呼びつけたと言った方が正しい。この会談に対し、世界中の中国ウォッチャーは様々な分析をしている。それらの論点を総合してみると、来年に行われる総統選挙と立法委員選挙の選挙戦で劣勢になっている国民党へのテコ入れや「一つの中国」という原則を馬英九の在任中に固定化し、後任者に拘束するため、もしくは南シナ海紛争でアメリカと対抗するために中国は台湾を抱き込みたいというのもあれば、馬英九の個人的なレガシーを残してあげる等々の説まである。だが、そのいずれも的外れだと言えるだろう。
馬英九が習近平と会いたがっていることは周知の事実であり、習近平はそれを頑なに拒んでいたのである。それが何故この時期になって馬英九に念願を叶えさせたのか。それは習近平側の事情を理解しなければ全貌を掴めない。
●会談は国民党にプラスに働くか
国民党の選挙の劣勢を挽回しようという説は一見もっともらしい。だが、これは台湾の内情を知らない皮相的な憶測であろう。そもそも国民党の劣勢とは、馬英九の中国一辺倒路線が台湾人に拒否された結果なのだ。それ故、中国に接近すればするほど、国民党の支持率は当然のこととして下がる。習近平との会談は、台湾を一層中国に近づける行為であるため、国民党の支持率は上がるはずもない。実際、会談後の国民党の支持率は下がっている。
習近平に南シナ海の紛争で台湾を抱き込みたい気持ちは大いにあるのだろうが、実際問題として現実に台湾と中国が共闘出来るのか、ということを忘れてはならない。台湾は実質的なアメリカの保護国である。中国が台湾を抱き込もうとすれば途端にアメリカは必ず強く反発し、それによって緊張が一気に高まるのは想像に難くない。果たして台湾がこの大変な問題に対し、アメリカの意向に逆らってまで中国の肩を持てるのか。習近平であっても馬英九であってもこのぐらいの判断は出来るだろう。
●台湾を「一つの中国」に嵌められるか
では「一つの中国」という枷を次期の台湾総統に嵌めることが出来るだろうか。台湾を「一つの中国」という枷に嵌めておくことは、中国の一貫とした政策であって中国の指導者ならば誰であれ、これを遂行する以外の選択肢はない。台湾の指導者と会談する程度で「一つの中国」という枷を今まで以上に台湾に嵌めることが出来るのであれば、中国はとっくにやっているのである。習近平は中国歴代の指導者よりも自信があったからこそ中台首脳会談出来たとの説もあるが、それも表面的な観察でしかない。少なくとも毛沢東やトウ小平と比べれば、習近平の権力基盤は決して安泰ではなく、毛やトウほどの自信があるというわけでもない。そのような習近平が、レームダックになっている馬英九と約束したところで台湾人がこの「一つの中国」という枷を大人しく頂戴するのか。
中台間には「92年コンセンサス」が存在する前提で、馬英九政権は2008年から、日米接近路線から中国一辺倒路線に舵を切った。この「92年コンセンサス」を中国は、台湾を中華人民共和国の一省である前提の「一つの中国」と解釈しているが、馬英九は「一つの中国」を認めつつも、その中国とは各自に解釈するいわゆる「一中各表」と台湾人に説明している。つまり馬英九は「一つの中国」とは「中華人民共和国」ではなく「中華民国」であると言い張っているわけだ。この二つの解釈のいずれも台湾人にとっては受け入れがたいものなのだが、馬英九政権は中国の虎の威を借りて「92年コンセンサス」を台湾人に押し付けていた。
にもかかわらず、今度の会談で習近平を前にした馬英九は、自身の解釈である「92年コンセンサス」で「一つの中国」の部分のみを定義し、「各自に解釈する」部分を消してしまったのである。「92年コンセンサス」イコール「一つの中国」となったこの結果は、当然習近平の欲するものだが、台湾人にとって絶対に受け入れることの出来ない定義だ。台湾人が受け入れられない合意に有効性があるはずもなく、台湾を中国に近づけることは出来ないのである。
来年5月に退任する馬英九としてはこの会談を自分の花道にしたいところだが、習近平は馬英九の個人的レガシーに協力するようなお人よしではない。馬英九が欲しがる歴史的地位やレガシーというものは、習近平が彼にやったエサに過ぎないのだ。
●会談は習近平の失政を隠すため
何故習近平はこの会談をやろうとしたのか。その答えは10月29日に閉幕した第18回共産党中央委員会五中全会にあった。もともと五中全会の目玉議題は習近平の推薦人事であったが、それはことごとく却下された。つまり、習近平は完全に権力を掌握出来なかったのだ。その事が原因で習近平の「強い指導者」というメッキが剥がれ落ちた。習近平は6月の株暴落に対する対応で信じられないほどの素人ぶりを露呈し、世界の笑い者になった。国賓としての訪米も一つの成果も出せず、挙句の果てにはヒラリー・クリントン氏にツイッターで「恥知らず」と罵られ、惨憺たる結果となった。その後のイギリス訪問での大判振る舞いさえも何故その大金を中国に投資しないのかと国内では不満が噴出した。肝心の南シナ海の問題に至っては、米国イージス艦の人工島12海里内の「領海侵犯」に対して弱気の応酬で終始しているだけで終わった始末である。
強面とされる習近平だが、現実には内政も外交も躓きの連続で求心力が急速に低下している状態だったわけだ。そのような現状であるからこそ、目玉になる政策を打ち出せない五中全会でとっくに有名無実化された「一胎化政策」(一人っ子政策)の廃止を発表したのである。世界のマスコミはこの政策転換を大々的に報道しているが、これは経済や外交の失政をぼやかすためのカムフラージュに過ぎなかった。
結局「中台首脳会談」も習近平が自分の権力基盤を強化するために切った台湾カードだった。この会談で自らの失政を隠すと同時に、中国人に「台湾統一の一歩前進」という陶酔感を与えるためのショーに過ぎなかった。連日中国の官製メディアの宣伝を見ていると、習近平の思惑は簡単にわかる。台湾を併呑することは中国人の悲願だ。この歴史的な会談に陶酔するのも無理はない。しかしその一方で台湾人の多くは、この会談で合意された台湾を「一つの中国」に固定する結論に強く反発している。台湾人の反発を見てわかることは少なくとも、この会談が「統一の一歩前進」になるというよりは「統一の一歩後退」となったことである。