家村 和幸
▽ ごあいさつ
こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。
楠木正成は、兵法の達人であると同時に、きわめて優れた
統治者でもありました。智・仁・勇(知恵と仁愛と勇気)に
富んだ人物とは、戦時にも平時にも、人並みはずれた優れた
能力を発揮するものだということがわかります。
そこで今回と次回の二回にわたり、楠木正成が平時に
行った領民統治などの行政がどのようなものであったか
を紹介いたします。
それでは、本題に入りましょう。
【第31回】 楠木正成の領民統治
(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十六 正成兄弟討ち死にの事」より)
▽ 楠木正成の減税と農地開拓
古(いにしえ)より我国に正成ほどの智・仁・勇を備えて
いた男はいない。
手柄のあったものに新たな恩賞を与えるにあたっては、
おごり高ぶることを戒め、諸人の貧苦を救うことをなにより
も優先して、それまでの官府への上納を十のうち二つを
免除した。正成が課した税の取り立ても当然のことながら
緩めた。
それだけではなく、摂津・河内の両国では所々に池を
掘らせて新田を数多く開発した。
農民を定住させるには、その田の作付け量を計算して、
種子を必要なだけ用意し、耕作民を遣わし、
「その秋になったら100分の1を利息分として加えて、こ
の種子を返納せよ」
とした。翌年には、収穫した米の30分の1を納めさせた。
その後の3年間も同じであった。これらに加えて、「諸役
(課役・雑税)は無い」とも公言していたので、諸国から農
民が正成の国にやって来て、両国の人口は、日ごとに半
倍して増えたという。
その外にも、樹木のない山があれば、「何とかしなけれ
ば」と、全て植樹して育て、「諸木の中でも柳ほど早く成長す
るものはない」と云って、嶺や谷に柳を植えたのであった。
また、所々に栗を植え、村里には桑を隙間なく植えて、
「人民に与えた土地を活用せずに放置しておくのは、政治とはいえない」
とのことで、全てこのようにした。
「所々の田畑が干害を被るのは、天道の災禍ではない。人
民が愚かであって雨を徒に河水として捨てるからである」
と云って、山の麓の広野の中に池を多数掘らせたのであった。
また、昔の池の用水にならないような水を、切り流して新田とした。
▽ 政治は全て諸人のため
自分の欲を求めることについて「それは小人である。どうし
て国の守護となれようか」と、恥ずべきことであるとした。
「新法を制定してください」と言われたならば、「諸人が悩む
ことになるのか、または喜ぶことになるのか」と云って、諸人
の意見を聞き、これらを十分に検討して良いであろうと思う
ことが多ければ、この法を定める。良いであろうと思うことが
少なければ、法を制定しなかった。諸事の政治は、全て諸人
のためであって、我が身のためにはしない、ということであった。
「ほとんどの法は、その昔に聖徳太子が定められたものを
学ぶ。新法を制定するのは、人民・農民らが苦労するもの
である。たとえ良い法であっても、下々の者は苦しいことに
思うものであるぞ。そうであれば、少々の法であれば、定め
ないほうがよい。置かなければ困る法だけを、十分にその
目的を思案して制定するのである。」
これが正成の法に対する基本的な考えであった。
▽ 法律を制定する心得
楠木は続けてこのように述べている。
「そうであるのに、闇主(愚かな君主)は遠い先々のことを
慮ることなく、人の言うがままに法を定めることがある。諸人
は苦しむものであるぞ。そうであるから、法を定める上での
心得は数多くある。
小さな罪を根絶させて、また別の大きな禍(わざわい)をもた
らす法がある。これが一つ。
小さな禍を阻止して、別の小さな禍をもたらす法がある。これが二つ。
民を苦しめる禍が民の上にもたらされるときには、大過を
阻止して小禍が発生する法がある。小禍といえども民の苦労
があるならば、大過と同じではないか。ただし、その内容にも
よる。これが三つ。
今ある禍を阻止することなく、新たな禍が発生する法がある。
民の苦労があるならば、禍が発生するのと似たようなもので
ある。これが四つ。
民のためには悪しく、君主一人のために良い法がある。そ
の国は遠くないうちに破滅する。これが五つ。
君主のために良く、民のために良い法がある。これは国家
長久の基であり、最も定めておくべきものである。これが六つ。
民のためには良く、君主のためには悪しき法がある。内容
によって制定せよ。事情に動かされて制定してはならない。これが七つ。
君主の欲望から法を定める。これは民のために悪しきこと
である。このようなことをすれば、民は君主を恨む。これが乱
の端緒となる。高位・下級どちらの者も、欲ほど身の毒となる
ものはない。欲とおごりとは、高位の者であれば国を失う端
緒となり、下級の者であれば身を失う端緒となる。」
このように言っていた正成であるから、一つの法でさえ制定
する時には、これまでの事や今後の事を十分に検討して、老
中を集め評定(会議)を加えてから定めたのであった。
▽ 評定のやり方にも工夫あり
また、評定を加えるにも、一カ所に集まっての評定は、ほかの
人に譲って思うことを言わずに口を閉じる者が多いので、事を書
き付けて、議事を表題とし、これを老中一人ずつ全員に配布して、
「隠密にこれを書いて提出してもらいたい。各人の意見を受け付けよう」
と言ったのであった。これによってそれぞれが自分の考えを書い
て提出したならば、その人を呼び寄せ、心の内に思うことを聞いて、
「正成の考えよりも勝っている。または、劣っている・・・」
として、善いものを採用して自分の考えに加えて、事を成したの
で、誤りが少なかったのである。
また、一カ所に集まって評定するようなときも、上座から一人
ずつ言わせたのであった。このようにする利点は多くあった。
老中の智恵を発揮させる。これが一つ。
人が自ら好んで学ぶようになる。これが二つ。
人が賢いか、愚かであるかが分かる。これが三つ。
事をなすのに誤りが少ない。これが四つ。
人に勇気があるか、臆病かが分かる。これが五つであり、こ
れらを始めとして数多の利得がある、とのことである。このよう
にすれば、一切の芸を習うのと同じように、始めは鈍くても、習
いを怠らなければ、その道を知るようなものである。始めはわ
きまえていなくても、事が重なれば、皆が似つかわしく智恵が
出てくるようになったという。何と賢いことであろうか。
▽ 貧民を救済する
また、国中で貧しい者があれば知らせよ、という法を定めて
いた。これを訴える者があれば、貧困の詳細を尋ねたのであった。
身の分際を超えて贅沢し、道楽にふけって貧しくなったの
であれば、これを扶助しない。あるいは、「意に反して損をして
しまった。また、生来の老中が多い。子供が多い。二親を養っ
ている」などと言う者があれば、それぞれの事情に応じて財
を与えて、今後は貧しくならないやり方を教え、あるいは生計
を立てる方法を知らなければ、これを教えたのであった。
さらに、工人がその職業に従事せず「貧しい」などと云えば、
「それは役に立たない人である。盗人とは呼ばれていないが、
国の盗人である。そもそも天地の間に、この世に生まれて天地
の役に立たない物があるだろうか。あなたは幸いも良い業(わ
ざ)を身につけていながら、その職業をなさず、貧民となること
は、天地もこれを嫌悪するところである。楠木がどうして扶助し
ようか」
と云って帰した。一方で病気である者には、特別に憐れんだも
のである。このようにするうちに、人々は皆、楠木正成という領
主の恩がいかに深いものであるかを思うようになった。
これらは全て、正成の智と仁のなせる業である。勇はもちろ
んである。そうであるから、後になって正成が(湊川で)討たれ
たことが知れわたると、河内・摂津・和泉・紀伊・大和などの人民
は、親や子が死んだかのように、家々で叫び歎いて、声を惜しま
なかったのである。
(「楠木正成の領民統治」終り)
(以下次号)
(いえむら・かずゆき)
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● 著者略歴
家村和幸 (いえむら かずゆき)
1961年神奈川県生まれ。元陸上自衛官(二等陸佐)。
昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、
昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長
まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、
国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、
情報幹部、運用訓練幹部を拝命。
その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、
戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、
幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育
訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官。
現在、日本兵法研究会会長。
http://heiho-ken.sakura.ne.jp/
著書に
『真実の日本戦史』
⇒ http://tinyurl.com/3mlvdje
『名将に学ぶ 世界の戦術』
⇒ http://tinyurl.com/3fvjmab
『真実の「日本戦史」戦国武将編』
⇒ http://tinyurl.com/27nvd65
『闘戦経(とうせんきょう)─武士道精神の原点を読み解く─』
⇒ http://tinyurl.com/6s4cgvv
『兵法の天才 楠木正成を読む (河陽兵庫之記・現代語訳) 』
⇒ http://okigunnji.com/1tan/lc/iemurananko.html
がある。