(転載自由)
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以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。
「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)
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林 建良
真実を中国人に知らせれば中国は崩壊する
●分裂と統合をくり返す中国の歴史
「中国を崩壊させる」というテーマは、日本人にはあまりふさわしくないテーマかもしれない。平和を愛する日本人には、他国を崩壊させるという気持ちはあまり起きないかもしれないからだ。しかし、あえてこのテーマを選んだのには二つの理由がある。
一つは、軍事面、環境問題、犯罪の増加など、どこから検証してみても、このまま中国が膨張してゆけば、アジアのみならず世界の危機となることはほぼ確実であり、隣国の日本が無関係でいることはあり得ないからだ。
もう一つは、中国が大国であれば中国人は幸せかというと、そうではないからだ。紀元前の殷、周時代を経て紀元前二二一年に秦の始皇帝によって統一されて以来、中国は分裂と統合をくり返してきた。漢、隋、唐、宋、元、明、清、そして中華人民共和国などは統一王朝だが、それ以外の三国から五代、南北朝、そして一九一二年から一九四九年までの間も分裂している状態だった。
しかし、分裂していたときの方が中国人にとっては幸せな時代だったと言える。というのは、常に中央集権体制をとってきた中国なので、分裂しているときには中央の権力が弱まり、地方は経済的に裕福になるからだ。統一のメリットは外敵を防いでくれる軍事力だけだった。
この「砂のような中国人」をまとめてきたのは、ひと言で言えば利益と恐怖である。利益を得るのは統治者である一握りの官僚だ。李登輝前総統が二〇〇三年六月に出版した『二十一世紀台湾国家総目標』のなかで「中国は四パーセントの貴族と九六パーセントの奴隷によって構成されている」と指摘しているが、ごく少数の人間に利益を与えて共犯構造をつくり、大多数を恐怖政治によって奴隷として統治しているのが中国という国なのである。このような国家が永遠につづかないのは当たり前のことで、だから中国は始皇帝以来、分裂と統一をくり返してきたのである。
日本人にもなじみが深いのは『三国志』で、私も子供のころから『三国志』や『三国演義』を読んで育った。この『三国演義』の冒頭に「話説天下大勢、分久必合、合久必分」とある。天下は「分久必合」、分裂している状態が長くつづくと統合され、「合久必分」、統合された状態が長くつづくと分裂するという意味だ。まさに中国の統治を象徴した言葉だ。
『三国演義』は千年以上も前の歴史を描写した物語だが、今の中国にも十分通じる物語である。周知のように、中華人民共和国は中国共産党による一党独裁国家であり、民主主義国家ではない。ましてや国民国家でもない。まさに中国共産党による帝国主義的支配なのである。だが、中国人は決しておとなしい民族ではない。だから、中国帝国主義がいずれ破綻を来たすことは必定と言ってよい。
●インターネットや携帯電話の普及は崩壊を促すか?
いろいろな問題を抱えるこの中国帝国主義が内部問題の爆発によって自然に崩壊するのだが、当然のことながら、独裁国家中国は、あらゆる手段を駆使してそれを防ごうとする。
たとえば、中国ではインターネットが普及しているから、インターネットで情報が出回れば崩壊するのではないかという見方がある。しかし、私は疑問だ。確かに中国のインターネット使用人口は一億台を突破してアメリカに次いで多いものの、まだまだ一部にすぎない。いささか古い統計だが、二〇〇二年末の人口一〇〇〇人当たりに占めるインターネット使用人口は、台湾の三八一人に対し、中国はたったの二六人でしかない。
また、中国共産党による検閲も厳しい。経済的に余裕のない中国人が唯一インターネットを使用できる場所がネットカフェだが、反体制言論を規制するため、中国政府は二〇〇五年に一〇〇〇カ所以上のネットカフェを閉鎖している。さらに上海などのネットカフェには監視カメラが設置され、インターネット使用者は必ず身分登録を強制されているのが現状なのだ。
では、携帯電話の普及が崩壊のきっかけになるのではないかという見方もあるが、これも疑問だ。二〇〇五年九月末現在、中国の携帯電話契約件数は約三億八〇〇〇万件にものぼっていて、世界一の利用状況だが、携帯が普及しているのは都市部だけであって、農村部にはほとんど普及していないからだ。また、携帯電話は情報統制下にあり、日本では考えられないことだが、中国当局からいっせいに情報が流されることもしばしばある。
●徹底した中国の情報封鎖
中国の情報封鎖がどれほどのものかと言うと、たとえば二〇〇五年四月に反日デモが起こり、世界各国で報道された。日本人は、このような状況は中国全土に広まっているかのようなイメージを持っているようだが、中国国内紙ではほんの片隅に取り上げられた程度で、ほとんどの中国人は反日デモが起こっていることさえ知らなかったというのが実情なのである。
また、二〇〇五年一二月六日、広東省汕尾市の東洲村で農民暴動が起こった。これは、住民を武力で弾圧した事件としては一九八九(平成元年)年の天安門事件以来、最大の事件である。射殺された犠牲者は七〇名以上になったと報道されている。
この事件は、風力発電所を設置するという理由で農民の土地を不当に安い価格で強制的に買収したうえ、その補償金を十分に支払わなかったため、生活手段を奪われた農民らが二〇〇四年一〇月から建設現場へ通じる道路に座り込んで抗議していた。ところが、汕尾市当局はこの道路を封鎖し、二〇〇五年一二月六日にまず公安当局が麻薬捜査と称して村に入り、次に装甲車や戦車、武装警察を動員して鎮圧しはじめたのだった。最初は催涙弾だったが、そのうちに実弾を使って抵抗する村民を次々と射殺するという、なんとも酷い事件だった。
この事件については中国当局がいつものように情報を封鎖したため、日本でも報道されなかった。しかし、一二月一〇日付のニューヨーク・タイムズが一面でこの事件について報道すると、日本のメディアも追随して報道しはじめ、共同通信は次のように報道していた。
【ニューヨーク十日共同】中国広東省汕尾市東洲村で発電所建設に抗議していた住民が当局と衝突した事件で、十日付の米紙ニューヨーク・タイムズは複数の住民の話として、武装警察による銃撃などで二十人が死亡、五十人が行方不明になっていると一面で伝えた。
同紙は、武力を伴う当局の住民弾圧としては「一九八九年の天安門事件以来最大」と指摘。今後、国際的な対中批判が広がる可能性が出てきた。同紙が伝えた住民の証言によると、六日午後七時ごろ、武装警察が抗議行動鎮圧のため催涙ガスを使用したが、収まらなかったため威嚇射撃へとエスカレート。同十時ごろに住民を狙った銃撃が始まった。衝突を受けて数千人規模の治安部隊が村を封鎖。脱出を試みた住民の逮捕情報もあるという。
ところが、一一日付の国営新華社による報道では、死亡したのはたった三人で、負傷者も八人という内容だった。汕尾市当局がそのように発表したのだという。
これでも明らかなように、天安門事件でもそうだったが、中国というのは、自国にマイナスだと思われる事件はどれほど大きな事件であろうと、外国のメディアが取り上げないかぎり事件の存在を認めないし、認めたところで死亡者数などを過小発表するのである。
つまり、隠蔽できるものならどこまでも隠蔽するのが中国であり、中国にとってマイナスになるような数字や内容はまず発表されないのである。
●台湾でもある国民党系メディアの情報操作
このような体質は国民党独裁下にあった台湾も同じで、蒋介石が死んで二年後の一九七七(昭和五二)年一一月一九日に起こった「中歴事件」でもまったく同じような対応が見られた。当時の総統は蒋介石から蒋経国へのつなぎ役を務めた巌家淦で、蒋経国が国民党主席だった。
当時、のちに民進党の主席になった許信良が国民党を離党して桃園県の知事選挙に立候補した。ところが、国民党が票集めのため金をばらまいたことや投票箱に事前に投票用紙を入れておくなどの不正操作が発覚した。これに怒った住民が国民党の選挙事務所を破壊し、中歴警察署に押しかけてパトカーに放火し、一万人を超える群集が警察署を取り囲んだ事件である。
戒厳令が布かれていた当時の台湾では集会の自由が認められていなかったため、住民が集まってこのような事件を起こすのは異例中の異例であった。蒋経国はすぐに軍隊を派遣して鎮圧に乗り出し、現場では発砲命令も出されたという。しかし、派遣された若い兵隊はほとんどが台湾人だったため誰も発砲しなかった。この事件をきっかけに蒋経国は台湾の民主化を進めるようになったと言われている。
当時、学生だった私を含め台湾の住民は、新聞やテレビがこの事件についていっさい報道しなかったため何も知らなかった。しかし、あとでアメリカのメディアが写真付きで報道したことで、国民党政権も事件を認めざるを得なかった。これによって、許信良が県知事に当選した。
このように、中国人の手法は隠蔽したり小出しにしたり、あるいはまったくのニセ情報を流したりして情報をコントロールするのが常道なのである。
日本では言論の自由や報道の自由が認められているため、このような中国人の手法はなかなか理解しがたいことかもしれない。台湾は民主化の過程でこのような手法から抜け出しつつあるが、いまだにメディアの大半を国民党系が握っているため、抜け切れていないのが実情なのだ。
参考
「中国ガン・台湾人医師の処方箋」林 建良著 並木書房 2012年12月出版