京都「光華寮訴訟」で最高裁が上告から20年を経て審議を開始

双方に求めた「釈明」の内容は、台湾に国家の「代理権」があるかどうか

 最高裁に係属中の民事訴訟では最も古い裁判になるという「光華寮訴訟」で、最高裁が
台湾側と寮生側に対して22日付で発送した書面で「台湾による訴訟が、中国国家を代表し
て行ったものと言えるかどうか」について、3月9日までに意見を述べるよう求めている
ことが報道された。

 読売新聞によれば、台湾当局は、最高裁が中国の求める「一つの中国」原則を踏まえた
判断を行った場合、「台湾は主権独立国家」とする主張の“正当性”が揺らぐことを懸念
しているという。

 日本の最高裁が中国の「一つの中国」原則を踏まえるのか、台湾の「台湾は主権独立国
家」という主張を踏まえるのか、あるいはもっと別の見方を取るのか、台湾の法的地位に
関する裁判であるがゆえに、大いに注目される。

 ちなみに、日本政府の立場は、サンフランシスコ平和条約を締結したことで、台湾に対
するすべての権利、権原及び請求権を放棄しており、「台湾の領土的な位置付けに関して
独自の認定を行う立場にない」とし、また、「日中共同声明」では「台湾が中華人民共和
国の領土の不可分の一部である」との中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重すると
いうもの。最高裁が政府見解を踏まえるのか、それとも台湾の「統治の実態」という現実
を直視するのか、法的にどのような見解を打ち出してくるのか、注目されるところである。

 藤田宙靖(ふじた ときやす)裁判長は、果たして「平成の小島惟謙」あるいは、台湾
に縁して言えば、台湾にも憲法が適用されることを導いて司法の独立を守った「平成の高
野孟矩」(たかの たけのり)となれるのか、期待しつつ見守りたい。    (編集部)


20年来の京都「光華寮」訴訟、最高裁が確認手続き
【1月23日付 読売新聞Web版】

 台湾が、京都市左京区の中国人留学生寮「光華寮」の寮生8人に建物の明け渡しを求め
た「光華寮訴訟」で、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)が、台湾側と寮生側の訴訟当
事者双方の主張を確認する「釈明」の手続きを始めたことが分かった。

 光華寮を巡っては、台湾側の所有権を認めた1987年の大阪高裁判決に対し、中国政府が
「二つの中国を認めたもの」と反発するなどして政治問題化。上告審は20年にも及び、“
塩漬け状態”だったが、最高裁がようやく動き出したことで、訴訟の行方に注目が集まり
そうだ。

 光華寮は、戦前、京都大学が中国人留学生用の宿舎として賃借していたが、戦後、台湾
が買収し、61年に所有権登記された。寮の管理を巡るトラブルで、67年に台湾側が寮生8
人に明け渡しを求めて提訴した。

 訴訟では、72年の日中共同声明で日本が中国を「唯一の合法政府」として承認したこと
に伴い、台湾の在日資産の所有権が中国政府に移るかどうかが最大の争点となった。1審
・京都地裁は77年、「日中共同声明で、寮の所有権は台湾から中国に移った」として台湾
側の請求を退けたが、2審・大阪高裁が82年に審理を同地裁に差し戻した。

 差し戻し後の1、2審はいずれも、「光華寮は、外交財産や国家権力行使のための財産
ではなく、政府承認の切り替えにより中国政府に所有権が移るとは認められない」として
、台湾の所有権を認めたため、寮生側が87年3月に上告した。


中台因縁の「光華寮」明け渡し訴訟決着へ 提訴後40年
【1月23日付 朝日新聞】

 日本と中国、台湾の間の摩擦の火種となってきた京都市内の留学生施設「光華寮」をめ
ぐる明け渡し訴訟について、「中国の代表権を持つ政府はいずれか」についての意見を求
める通知が最高裁から訴訟代理人に届いたことが23日、わかった。1967年の提訴から40年
を経た訴訟は、上告から20年ぶりに審理入りしたことになる。近年は中華人民共和国政府
が中国国民を代表することは国際政治学で通説となりつつあり、最高裁では、台湾側勝訴
の二審判決がこの論点を中心に再検討される見通しとなった。外交上の波紋が起きるのは
必至だ。

 光華寮訴訟では、台湾の所有権を認めて中国を支持する寮生に立ち退きを命じた大阪高
裁判決が、「二つの中国を認めるものだ」として中国側の強い反発を招いた。以来、最高
裁は事実上「封印」してきた。

 訴訟代理人ら関係者の話を総合すると、最高裁第三小法廷(藤田宙靖(ときやす)裁判
長)が今回、代理人に求めたのは、「この訴訟を遂行すべき中国の代表権を持つ政府は中
華人民共和国と中華民国のいずれか」についての意見だ。

 この訴訟は、中華民国政府(台湾)が原告となって起こした。中華民国を承継した中華
人民共和国が訴訟を遂行すべきだと最高裁が判断すれば、台湾は訴訟活動を中国に受け渡
さなければならなくなる。

 台湾は文化大革命最中の67年、中華人民共和国を支持する寮生8人を相手に明け渡しを
求め提訴。係争中の72年、日中国交正常化で日本は中国を唯一の合法政府として承認し、
台湾と断交した。

 一審・京都地裁は77年、「日中国交正常化で、中国の公有財産である寮の所有権は中華
人民共和国に移った」として台湾を敗訴させたが、大阪高裁が82年、一審判決を取り消し
、審理を差し戻した。差し戻し後一審(86年)では台湾が勝訴。中国側は日中外相協議な
どで批判したが、87年の大阪高裁判決も、台湾の所有権を認めて寮生らの立ち退きを命じ
、寮生側は上告した。

 このため、中国側は反発を強め、故・!)小平氏が日本の姿勢を批判。日中首脳会談でも
「光華寮訴訟」が取り上げられて外交問題化した。日本政府側は「三権分立」の原則を強
調。「政治は司法に介入できない」と理解を求めてきた。

〈キーワード:光華寮〉 京都市左京区内の京都大にほど近い住宅街にある鉄筋5階建て
、延べ約2000平方メートルの在日中国人留学生寮。戦時中、京大が民間会社から借り上げ
た。戦後、中華民国が買収した後、寮生が自主管理を始めた。中華人民共和国が49年に成
立した後の52年、戦時中に続いてそのまま留学生寮として使えるよう台湾が購入した。寮
には現在、留学生ら数人が暮らしているとされる。



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