ことがある。
先般、日本経済新聞に掲載された金子展也氏もそのケースだ。金子氏は海外赴任3度
目で台湾に赴き、「それまでの駐在員生活は仕事、ゴルフ、酒席の繰り返し」だったそ
うだが、「上司から『現地を知るには歴史と文化を学べ』と諭されたこともあり、少し
違った気持ちで台湾に渡った」そうだ。
そこで金子氏は「赴任後、北部にあるテレサ・テンの墓を見た帰り、近くの金鉱山跡
に日本統治期の神社が残っていると聞き、何の気なしに立ち寄った」ことで、「苔むし
た鳥居や石柱を前に、不思議と懐かしい気分がこみ上げてきた。『同じような遺跡は台
湾にどれだけあるんだろう。二、三十かな。全部巡ってみたいものだ」と思ったのがは
じまりだった。現在、420社もの神社跡を確認したという。
日本人が歴史好きなことをよくよく知らされる一文でもある。歴史に触れると、なぜ
か「不思議と懐かしい気分がこみ上げて」くるのが、日本人の特徴の一つといってよい
かもしれない。
この金子氏に限らず、台湾と日本との歴史的関係を知ることで日台交流に関係するよ
うになる人々は少なくない。台北の「呉三連台湾史料基金会」に台湾関係の書籍を送り
続けている商社マンの三田裕次(みた ゆうじ)氏、日本時代の遺蹟などを紹介し続け
ている片倉佳史(かたくら よしふみ)氏、台湾の大学で教鞭を執っている中日新聞台
北支局長だった迫田勝敏(さこだ かつとし)氏など、私どもの身近にも少なくない。
台湾の人々が日本時代の歴史を大切にしているからでもあるが、このような日本人の
営みが忘れていた日台の濃密な歴史を日本人に思い出させる。日台の歴史を大切にする
台湾人と、その歴史を思い出そうとする日本人がいる限り、日台関係はさらに進む。進
んだ先に国交正常化が待っている。
(メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬)
台湾に日本式神社の面影─植民地統治下に建立、残された鳥居や石柱など巡る
会社員 金子 展也
【2008年2月26日 日本経済新聞「文化」欄】
台湾の台南市に、「延平郡王桐」という廟(びょう)がある。明朝の遺臣である鄭成
功(ていせいこう)を祭り、朱色の壁や柱が南国の日差しに照り映える中国式の建築。
だが、中門の両側には日本の神社にあるのと同じ、狛犬(こまいぬ)が鎮座している。
正殿の脇には日本のお神輿(みこし)まで置かれている。
◇◇◇中国寺院に改築
中国と日本が混じり合った不思議な空間だが、廟の歴史を調べて納得がいった。六十
年前まで、廟は「開山神社」という名前だった。一八九五年に日本が台湾を植民地化し
た直後、母親が日本人であることを理由に鄭成功をそのまま祭神にして、神社を開いた
のだ。終戦ののちに中国寺院に改築され、いまに至る。
電子部品を扱う商社に勤める私は二〇〇一年に台湾へ赴任し、日本統治時代に建立さ
れた神社に出合った。石の基盤を残して消えたもの、中国寺院やキリスト教会に姿を変
えたもの、公園になったもの。かつては支配の象徴であり、同時に日本人社会のよりど
ころだった存在に、無性に引きつけられた。以来、時間をみつけては台湾全土を訪ね歩
いて歴史の中に埋もれた神社跡を掘り起こしている。
海外赴任は台湾で三回目だった。それまでの駐在員生活は仕事、ゴルフ、酒席の繰り
返し。以前、上司から「現地を知るには歴史と文化を学べ」と諭されたこともあり、少
し違った気持ちで台湾に渡った。赴任後、北部にあるテレサ・テンの墓を見た帰り、近
くの金鉱山跡に日本統治期の神社が残っていると聞き、何の気なしに立ち寄った。
◇◇◇鉱山の盛衰見守る
雑草が生えた石段を上がっていくと、一対の石灯籠(どうろう)と鳥居がひっそりと
姿を現した。頂上にはギリシャ神殿のように石柱が林立する拝殿跡。鳥居には「金瓜石
鉱山事業所職員一向」「昭和拾弐年七月吉日」の文字が読み取れる。
この「金瓜石鉱山」は昭和戦前期には従業員約一万入を数える大鉱山だった。当時の
従業員の宿舎も数多く残っている。神社は鉱山の盛衰を見守った存在だったのだ。
苔むした鳥居や石柱を前に、不思議と懐かしい気分がこみ上げてきた。「同じような
遺跡は台湾にどれだけあるんだろう。二、三十かな。全部巡ってみたいものだ」
台北に戻ってさっそく調査を始めた。昔の台湾総督府が昭和十七年末時点でまとめた
宗教調査の資料に行き当たった。記載された神社数は、なんと約二百。これは覚悟を決
めてかからなければいけない。週末や夏休み、中国の旧正月などを利用して探索にでか
けた。
総督府の資料は当時の住所で書かれているので、現在とは違う場合が多い。鉄道で目
標の町まで行き、タクシーの運転手さんや地元のお年寄りから情報を得ながら少しずつ
近づいていく。
◇◇◇約四百二十社を確認
祭神からヒントを得て跡地にたどり着いたことがあった。「水」に関係する神様だっ
たので「昔、池や川がなかったですか」と聞き込みをしていたら、当時の池に浮かぶ島
に神社が鎮座していた事実を突き止めた。池は現在の桃園国際空港の近く。人口増とと
もに埋め立てられ、神社があった場所には台湾総統だった蒋経国の銅像が立っている。
台湾の歴史研究者の論文にも助けられ、総督府の資料にはない神社の存在も分かって
きた。こうした神社の多くは製糖工場などの企業や学校の敷地内、さらに高砂族と呼ば
れた先住民の村落に建てられたものだ。現在、総計で四百二十社ほどを確認できている。
先住民の村落の神社跡を訪れると、近くに当時の学校と駐在所の跡地がよくあつた。
その三点セットが日本の統治のシンボルだったのだ。先住民のお年寄りには今でも流ち
ょうな日本語を話す人がいる。「村から出征する若者の武運をみんなで祈った」など、
神社の思い出を語ってくれたケースもあった。
〇六年に日本へ帰ってきてからは夏休みや連休を使って訪問を続けている。ようやく
全体の六割ほどを巡ることができたが、道のりはまだ遠い。
鳥居や礎石などを含め、何らかの痕跡が残っている確率は五割。戦後の混乱期に植民
地統治の象徴として破壊された神社も多い。残っている遺跡も風化が激しく、十年、二
十年先の状態は分からない。かつて台湾と日本を結んだ歴史のしるしとして、何とか記
録に残していきたい。 (かねこ・のぶや=会社員)
写真:民家に埋もれるように鳥居が残る(台湾・花蓮県の玉里社あと)
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