ああ!劉維添先生逝く  渡邊 崇之(亜州威凌克集団代表)

廣枝音右衛門(ひろえだ・おとうえもん)は海軍巡査隊の大隊長として、大東亜戦争末
期に部下であった台湾籍日本兵命を自らの死をもって救った日本人だ。

 1976(昭和51)年9月26日、廣枝音右衛門に命を救われた劉維添(りゅう・いてん)氏ら
部下だった方々が台湾の苗栗県南庄郷の山腹にある仏教寺院、獅頭山勧化堂に廣枝をお祀
りして供養する英魂安置式を行い、それから毎年欠かさず慰霊祭を執り行っている。

 劉維添氏の慰霊祭をお手伝いしているのが、台湾に移住し、日本企業のアジア進出支援
コンサルティングなどを手掛け、台湾の日本語世代との交流も深い渡邊崇之(わたなべ・
たかゆき)氏。

 今年の9月21日の慰霊祭には本会からも参加したが、当日の早朝、劉維添氏が亡くなられ
た。91歳だったという。

 渡邊氏は慰霊祭のおり、廣枝の位牌に「廣枝隊長! 本日1時20分、劉維添先生が満91歳
でお亡くなりになりました。今後は私が劉維添先生に代わり、45年間この慰霊祭をここに
いる皆さんと共に守ってまいります」と誓ったという。渡邊氏が当日の模様をブログにつ
づっているので下記にご紹介したい。

 なお、10月3日、苗栗県南庄郷にある劉維添氏のご自宅で葬儀が営まれ、本会の小田村四
郎会長はご冥福を祈って生花を供してその死を悼んだ。


ああ!劉維添先生逝く  渡邊 崇之(亜州威凌克集団代表)
【日台絆のバトンリレー(第15回):2013年9月30日】

http://linkbiz.tw/2010-08-04-05-58-19/2010-11-30-06-04-29/20131001
*生前の劉維添氏の写真がたくさん掲載されています。

 何ということだろうか! 台湾の父とも祖父とも慕う劉維添先生が身罷られてしまった。

 戒厳令下の1976年から、7年前からは最後の生存者となられてからもずっとマニラ市街戦
時の上官である廣枝音右衛門警部の慰霊を続けておられた劉維添先生が、慰霊祭斎行直前
の当日1時20分、ご自宅近くにある苗栗県頭份の病院で廣枝警部のもとへ旅立たれた。満91
歳と3ヶ月だった。

 9月21日、不穏な夜明けで一日が始まった。早朝から台湾は台風の真っ只中だった。ウサ
ギと言う名付けには到底ふさわしくない超大型の台風は、幸い南部のバシー海峡を通って
中国大陸へ抜けて行くルートだったこともあり、北部は強雨こそあれ、さほど風に悩まさ
れることは無かった。けたたましく台風情報を流すテレビニュースも、慰霊祭会場の中部
までは台風の影響をぎりぎり避けられる見込みとのことだった。それでも中部からの参加
者は強い横殴りの風雨の為、急遽断念の連絡が入った。台北出発組からも数名のキャンセ
ルが出た。

 早朝に劉先生の自宅へ慰霊祭決行の一報を入れると、果たして劉先生ではなく奥様がお
出になられた。普段は日本語と北京語を織り交ぜて穏やかにお話をされる奥様が、この日
は何故か客家語で、しかも慌てたご様子で必死に何かを訴えかけているようだった。残念
ながら、客家語を解さない私はただならぬ状況を察するのみで、北京語で慰霊祭決行とご
自宅への到着時間をお伝えして受話器を置いた。

 前週にお宅へお邪魔した時も、劉先生とは側に付き添ってようやく会話が成り立つ程
で、お電話ではほとんど日本語での会話ができなくなっていた。ここ数ヶ月のうちにみる
みる衰弱が進んでおられるそのご様子に愕然とした。その為、当日も衰弱がより一層激し
くなっているのではと覚悟していたが、まさかその時既に天にお召しになっていたとは予
想だにしていなかった。

 こうして第38回廣枝音右衛門氏慰霊祭ツアーのバスは台北駅を発ち、一路台湾中部の苗
栗県獅頭山勧化堂へと向かったのだった。

 思い起こせば昨年の慰霊祭にも予兆があった。慰霊祭当日、心臓発作を起こされた劉先
生は病院へ搬送中、その責任感から必死の思いで自らお電話を下さり、慰霊祭には急遽参
列できなくなる旨の一報を頂いた。幸い午後には回復されてご自宅に戻られ、無事に慰霊
祭参列者と対面を果たすことができた。その時劉先生は参列者に向かって、

「皆さん、この度は皆さんと共に慰霊祭に参列できず、誠に申し訳ございませんでした。
来年は必ず良くなって皆さんと共に山(獅頭山勧化堂)の上でお会いしたいと思います。
ですから、それまで皆さん、どうか私を死なさないで下さい。それまで私を生かしてくだ
さい。どうか宜しくお願いします。」

と必死で声を振り絞った。

 その言葉に感動した参列者の中には劉先生への激励の手紙を送られた方もいらっしゃっ
た。思えば、劉先生もあの時から一年、参列者との約束を果たす為、必死の思いで生き抜
いていたのだ。

 高速道路を降り、南部からの参列者を待つ頭份での休憩(劉先生のお亡くなりにな
った病院近く)時、皆一様に首をかしげつつ天を向いていた。雨がすっかり止んでおり、
南へ向かう程強くなると思われた風も全く吹いていないのだ。その天候は獅頭山へ向かう
程、より一層穏やかなものになっていった。

 劉先生の訃報を聞いたのは獅頭山に到着した直後の事だった。日本語堪能な娘婿から携
帯電話に連絡が入った時、私は文字通り頭が真っ白になった。その時電話で何を話したの
かはっきり思い出すことはできない。ただ、天を仰いだ時に見えた暗雲から穏やかな木洩
れ陽が差し込んでいた情景だけは脳裏に焼き付いている。台風直下の台湾に突如奇跡的に
姿を覗かせた、天から地上へ差し込む錦繍の糸のような木洩れ陽は劉先生がいつも醸し出
すあの慈愛ある暖かみそのものだった。そして、その慈愛と暖かさは劉先生が日頃から口
にしていた廣枝警部から受け継いだオーラそのものなのだろう。

「渡邊さん、後は貴方に託します。貴方がいるから私は安心して逝けます。ひろえ(台湾
の方々は親しみを込めて廣枝警部のことをこう呼んだ)隊長と天から貴方をいつまでも見
守っていますよ。」

 敢えて慰霊祭直前に天に召されたあの穏やかで優しい劉先生の魂はこの木洩れ陽を通じ
て自然とこう語りかけてくれているように私には思えた。それは、言語という手段ではな
く、魂から心に直接そのメッセージを投げかけてくれているようだった。

 劉先生に出会ったのは仲間の生存者4名が立て続けにお亡くなりになり、初めてお1人で
慰霊祭を執り行われた翌年の2008年初夏のことであった。勧化堂にひっそりと安置されて
いる廣枝警部の位牌を前に背筋をピンと伸ばして報告されるそのお姿は、若き日の中山
(劉先生の日本名)小隊長そのものだった。

「ひろえ隊長!本日はわざわざ臺北より渡邊さんがお越しになられました。」

 自ずとこちらもピンと背筋が伸びて来る。廣枝警部の位牌に語り続ける劉先生。そして
その芯の通った威厳ある背中を見る自分。何度もこの軍人同士の会話を聞いているうち
に、私はいつしかこの時間軸で連なった歴史のバトンリレーのトラック上に在り、劉先生
からのバトンを受け継ぐ準備運動をしているようであった。そして、自然とこの慰霊祭を
今後50年、自らが引き継いでいくことを劉先生に誓っていた。あれから5年。とうとう劉先
生はしばらく2人で握り合っていたそのバトンを手放し、廣枝警部のもとへ行ってしまわれ
た。

「廣枝隊長! 本日1時20分、劉維添先生が満91歳でお亡くなりになりました。今後は私が
劉維添先生に代わり、45年間この慰霊祭をここにいる皆さんと共に守ってまいります。」

 1人でバトンを握りしめることになったその言い知れぬ寂しさを振り切るように、私は廣
枝警部の位牌の前で改めてそう誓った。今後の廣枝氏慰霊祭は即ち、劉先生の命日でもあ
る。来年からは新たに劉先生の位牌も安置したい。そして、この2人の絆のバトンリレーを
戦後世代の私たちはできる限り長く、正確に後世へと伝えて行かねばならない。それがこ
の時代に生き、ここ台湾に住む日本人の使命なのだと思っている。

 獅頭山から南庄の町に下り、すぐに劉先生の自宅を訪ねた。既に立派な祭壇が作られ、
奥には安らかな表情で劉先生が眠っていた。

「劉先生、慰霊祭の事はどうかご心配なさいませぬよう。後は私が責任を持って守って行
きます。安心してひろえ警部のところへ行かれて下さい。今は積もる話もあることでしょ
う。まずは、ひろえ警部との語り合いをゆっくりとお楽しみ下さいね。そして、いつまで
も、いつまでも私達を見守っていて下さい。」

 こう語りかけると、お2人の楽しそうな笑顔が思い出され、そして次に劉先生との思い出
が次々と走馬灯のように巡って来た。参列者も皆祭壇に手を合わせご遺体と対面した。多
くの方が涙を拭われていた。日台絆のバトンリレー。託されたバトンは重い。廣枝警部と
劉先生には後世代への受け継がれてゆく、その行く末をしっかりと見守っていて欲しい。

 バスが台北駅に着く頃には再び空は雨模様の天気となっていた。

 参列者は皆、この奇跡的な一日を通し、歴史の瞬間に立ち会ったという言い知れぬ運命
を感じていた。誰一人、この一日の出来事の数々を偶然の産物と片づけようとする人はい
なかった。廣枝警部が自らの死を持って部下たちに伝えてくれたことのように、劉先生が
自らの死を持って、私達に伝えようとしてくれた意味を深く胸に刻み込みたい。

 10月3日9時より南庄にある劉先生のご自宅で葬儀が営まれる。劉先生との最後のお別れ
を惜しんで来たい。

 劉維添先生、安らかにお眠り下さい。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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