1945年2月23日、第二次世界大戦の真っただ中、マニラの守備についていた廣枝隊長率いる台湾
人日本兵の部隊は米軍に囲まれ絶体絶命の状態でした。そこで、廣枝隊長は部下である台湾人日本
兵を守るため、自らが自決するという決断を下されました。
「お前達は台湾から来た者だ。家には妻子父母兄弟が待っているだろう。連れて帰れないのが残
念だが、お前達だけでも、生けるところまで行け。俺は日本人だから責任はこの隊長が持つ。」
これが当時、廣枝隊長が最後に言い残された言葉でした。
当時、日本軍司令部の命令は絶対であったにも拘らず、廣枝隊長の下された決断は何よりも人命
を尊重したものであり、非常に気高い事であったと思います。
その後、米軍に投降し、無事に帰国できた廣枝隊長の部下が、何とかその恩に報いたいと思い、
1976年9月26日に初めての慰霊祭を執り行いました。
しかし、歳月の流れと共にその有志は数を減らし、2006年には劉維添氏(以下劉氏)お一人と
なってしまいました。
それでも劉氏は毎年一度も欠かすことなく慰霊祭を執り行って来られました。
2007年春に、この慰霊祭を引き継いだ弊社代表の渡邊崇之が獅頭山を訪れました。
劉氏がお一人となられても慰霊祭を続けられていることを知り、その事にとても感動した渡邊
は、その年から知人を連れて、慰霊祭ツアーを企画し、今では台北より大型バスを率いての慰霊祭
ツアーが定着しています。
その劉氏が2013年の慰霊祭開催当日に突如天に召されました。その日からこの慰霊祭は廣枝氏の
慰霊祭であると共に劉氏の慰霊祭にもなりました。
背筋をしゃんと伸ばし、最敬礼で位牌に向って廣枝大隊長に報告する中山小隊長(劉氏)の姿は
日本軍の上司部下のやりとりそのものでした。劉氏と丁度50歳の歳の差がある渡邊は2008年の慰霊
祭の日、その会話と劉氏のその背中を見ながら、自分が今、現在進行形で紡がれている絆の歴史の
リレーの自分が今、現在進行形で紡がれていることを自覚し、自然と劉氏に向って次のように伝え
ていたと言います。
「今後50年間、劉さんのお歳になるまで、自分がこの慰霊祭を守って行きます!」
劉氏亡き後も、渡邊によって、引き継がれたこの慰霊祭は参列者が増え続けています。
今年は広枝氏没後70周年で、第40回目の慰霊祭となり、劉氏の3回忌にもあたります。
多くの皆さんで参列をお待ち申し上げております。
●開催概要
◆日 時:2015年9月26日(土)8時集合
*17時頃解散(当日の混み具合で時間は前後します。)
◆場 所:台北駅・東3門出口 集合
◆会 費: 完全実費制1,000元程度(バス代、お布施、食事代込み)。当日回収。
◆注意事項:
獅頭山の駐車場から勧化堂までは200段ほどの階段があります。お元気な方は徒歩で参りましょ
う。徒歩に心配のある方は別途勧化堂専用のエレベーターがありますので、当日バス内でお知ら
せ下さい。
◆お申込期限:2015年8月28日(金)18時
◆廣枝音右衛門氏慰霊祭ツアーお申込みフォーム
◆お問い合わせ
台灣威凌克股份有限公司(ベンチャー・リンク台湾)内
廣枝音右衛門氏慰霊祭実行委員会
電話:+886-(2)−2568−2334(日本語ホットライン)
担当:坂端(さかばた)・張(ちょう)
詳しくは公式ホームページで http://linkbiz
◆廣枝音右衛門氏慰霊祭ツアーについて