ご遺族など約7,000人が参列して政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われた。
一方、明治維新以降の戦歿者約246万人をご祭神として祀る靖國神社にも多くの参拝者が訪れ
た。参列者の列は大きな菊のご紋章が取り付けられている台湾檜で造られた神門を超え、手水舎の
ある第二鳥居のところまで及んでいた。
この日、台湾では台湾教授協会(張信堂会長)が記者会見を開き「第二次世界大戦中に犠牲に
なった台湾人を慰霊するため、平和公園の建設と慰霊碑の建立を蔡英文政権に求める運動を始める
と明らかにした」という。下記に東京新聞の記事をご紹介したい。
この記事には載っていないが、記者会見には時代力量の林昶佐・立法委員も参加し、「第二次世
界大戦で台湾人は徴兵され、約20万人が従軍して5万人が戦死したり行方不明になっている。また
戦犯として173人が裁かれたが、戦後、国民党が台湾を統治してからはこのような歴史に蓋を被っ
てしまった」と述べ「今、台湾に必要なのは忘れられた記憶を取り戻すことだ」と指摘したと「自
由時報」は報じている。
台湾教授協会は「第二次世界大戦中に犠牲になった台湾人を慰霊するため、平和公園の建設と慰
霊碑の建立」を要請してゆくということだが、実は台湾にはすでに大東亜戦争で戦歿した台湾出身
者を祀るところとして、「霊安故郷」と李登輝元総統が揮毫された慰霊碑が建つ台中の宝覚禅寺、
同じく李元総統が「霊安故郷」と揮毫された烏来の高砂義勇隊慰霊碑、新竹・北埔の南天山済化
宮、高雄の「戦争と和平記念公園」など4ヵ所ある。
しかし、これらはいずれもお寺の境内だったり、地方政府の土地だったりする。そこで、台湾政
府による慰霊のための公園と慰霊碑の建立を求めて行くということのようだ。
ちなみに、厚生省が昭和48年(1973年)4月14日に発表した「台湾関係(籍)軍人軍属数」によ
れば、従軍した軍人は8万443人、軍属は12万6,750人で総計20万7,193人とし、そのうち死亡、つま
り戦歿者は軍人が2,146人、軍属が2万8,158人の総計3万304名となっている。
また靖國神社によれば、昨年(2015年)10月の秋季例大祭現在でお祀りしている台湾出身戦歿者
数は2万7,864柱となっている。
この戦歿者数は、厚生省発表の3万304名とは2,440人の差がある。それは、靖國神社がご祭神と
してお祀りする場合、戦歿者の本籍地や遺族の連絡先などを確認する必要があり、終戦により台湾
が日本との連絡網が途絶えたため確認できなかったからだという。
いずれにしても、台湾政府による台湾出身戦歿者のための平和公園の建設と慰霊碑の建立は至極
まっとうな要請だ。蔡英文政権なら実現できると期待したい。
埋もれた戦争犠牲を伝えたい 大学教授ら訴え「台湾人の慰霊碑を」
【東京新聞:2016年8月16日】
【台北=迫田勝敏】台湾の大学教授らでつくる台湾教授協会(張信堂会長)は15日、記者会見
し、第二次世界大戦中に犠牲になった台湾人を慰霊するため、平和公園の建設と慰霊碑の建立を蔡
英文政権に求める運動を始めると明らかにした。台湾は日本の敗戦までは日本統治下にあったが、
戦後は中華民国が統治して「戦勝国」となった。このため戦争中の台湾人犠牲者は中華民国のもの
ではないとして、当局による慰霊などは行われていない。
日本の厚生労働省の統計では、台湾では軍人、軍属約20万人が徴用され、約3万3千人が死亡し
た。しかし、戦後に「戦勝国」である中華民国が台湾を統治したため、戦争中に多くの台湾人が犠
牲になった事実はあまり知られていない。歴史教科書でも、台湾人犠牲者の存在も含めて戦中・戦
前の台湾の歴史は詳しい記載がなく、台湾は戦争中、日本と戦ったと誤解している人も少なくな
い。
教授協会の張会長は、こうした埋もれた歴史を若者に伝えることが平和公園と慰霊碑建立の目的
だとする。平和公園の建設地は、台北市内の華山文創園区などが候補に挙がっている。同区は日本
時代の酒工場跡地で、当時は鉄道駅もあり、ここから台湾人兵士たちが出征したという。