本日は、本会副会長や台湾独立建国聯盟日本本部委員長をつとめられた黄文雄先生のご命日です。
昨年の7月21日にお亡くなりになりましたので、仏教では本日が一周忌に当たります。
昭和13年(1938年)12月5日のお生まれでしたので、亡くなられたときは満85歳でした。
実は、日本李登輝友の会の設立は黄先生なくしてありえませんでした。
当時、黄先生は独立建国聯盟の後輩を連れて李登輝元総統にお会いし、日本に日本李登輝友の会を設立することの内諾を得て帰国しました。
黄先生は拓殖大学日本文化研究所客員教授だったことから、当時の小田村四郎・同大総長を編集子などと訪ねて設立について相談し、ご快諾いただいたことで設立に向けた本格的な活動がはじまったという経緯があります。
2002年(平成14年)12月15日に日本李登輝友の会が設立され、作家の阿川弘之氏を会長に、小田村四郎氏や岡崎久彦氏ら5人が副会長に就き、黄先生には常務理事の一人として加わっていただきスタートしました。
黄先生には第1回の「日台共栄の夕べ」で講演していただくなど、その知名度を生かして本会活動に尽力していただきました。
2011年1月には副会長に就任し、2022年12月に退任されるまで12年間もつとめていただきました。
副会長時代にも、台湾セミナーなどで講演していただき、また『黄文雄先生と行く 国交を越える日台の絆を探る旅』という台湾ツアーでは台湾各地をご案内していただきました。
また、本会の財政事情を常に気にかけられ、ある本の印税をそっくりご寄付いただいたこともありました。
晩年は、物書きの生命線ともいうべき目を患い、数年前から公のところには出られなくなりましたが、それでもメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』を毎週水曜日に発行し、お亡くなりになる5ヵ月前まで執筆されていたそうです。
現在は解体されたお茶の水の「山の上ホテル別館」でよく待ち合わせ、カレーをご馳走になりながら、校正ゲラを見せられたり、執筆中の本の内容をお聞きしたり、これから書かれる予定の単行本の一覧表を見せていただくことがよくありました。
その合間に、日本李登輝友の会の財政状況や役員の動向などもたずねられ、気にかけていただいていることがよく分かりました。
活字の力を疑わない一方で、台湾独立建国運動の闘士でもあり、なぜ台湾が独立しなければならないかについては、まさに「耳にタコ」ができるほど伺いました。
しかし、恐い印象が残る風貌にもかかわらず、怒った顔は見たことがないという方が多く、そのお人柄は誰からも好かれていました。
これまでのご教導に感謝申し上げ、改めてご冥福をお祈り致します。
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※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。