平成23年6月19日日本李登輝友の会第6回総会
記念講演会
東アジアにおける我が国家戦略
講師 西村眞悟 前衆議院議員
  では、昭和二十二年五月三日に施工された憲法が無効ならば、憲法は無いのか。あるに決まっている。わが国には不文の根本規範がある。そもそも成文法主義というのは、ナポレオンがナポレオン法典をつくってから、紙に書いてエエ格好するのが、流行っただけ。はっきりいってあっち毛唐の世界。

 それを真に受け、近代国家の仲間入りをしようと作った努力は認める(大日本国憲法)。

 しかし、だからといって、無効なもの(日本国憲法)を紙に書いた。ましてや書いたのは、外国でありわが国を武力で占領し、7名の国家指導者を絞首刑にし、1000名を超えるBC級戦犯なるものを殺し続けながら、70万人を公職追放しながら、言論統制をしながら、占領者が紙に書いたものを有効という前提に200名を超える保守だと称する人たち(国会議員)が集まって、改正規定の改正をするなど、時間の無駄どころか、3月11日の津波以上の損害をわが国に与えます。

 津波の損害は復興が可能だが、無効なものを憲法としていじくってしまえば、ほぼ復興は不可能になる。わが国には不文の憲法があり、成文としての憲法は。明治二十三年十一月二十九日に施工された大日本帝国憲法である。では、この成文の憲法はわが国の実態に合うのか。実態とは、3月11日以降の危機、尖閣の危機、中国からの危機、その核弾頭への危機、これに対処できるのか?対処できる。

大日本帝国憲法第一条、大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ

 現在の我々が、今上陛下の3月16日玉音放送に接し、被災地をまわられる天皇皇后両陛下への思い、そのものずばりを表した条文である。
国家の存立を回復するには、大日本帝国が、国家の存立の要素と掲げる、天皇大権を回復すれば宜しい。天皇大権のひとつは、軍の編成の大権。その編成した軍を統帥する大権。そして政情不安となったときに戒厳令をだして秩序を回復する大権。この三つの大権により、現在の危機を克服できる。戒厳令を敷く大権は、東日本震災の状況が、戒厳令を出す状況にあることを菅政権は隠している。分からないだけである。

 小沢一郎は、天皇の地位を支える2671年天皇を支え続けた国民の総意であることを見抜けなかった。主権者は過去現在未来、天皇を支えた総意、総体を言う。
 ハンチントンの文明の衝突を見るまでも無く、わが国には独自の言語を持ち、文化を持ち、独特の国体を維持した民族である。宇佐八幡神託の冒頭は「わが国は天地開闢(かいびゃく)以来、君臣の道定まり、・・・」と、このような断定ではじまっている。定まっているわけであり、中国のような易姓革命の国ではない。それから600年後、神皇正統記では、「大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。 我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国と云ふなり。」異朝とは、支那、天竺の事を指す。更に600年後大日本国憲法が、わが国の一貫した国体である。
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 では、今後なすべきことは、国家存立の要素を回復すること。即ち、価値の回復であり、即ち、軍備の回復である。戦後のドクトリンのように今までのように済む時代ではない。資源、力が無ければ確保できない。中国共産党がそれをよく知っており、それを力によって獲得しようとしている。菅直人が総理大臣として浜岡原子力発電所の停止をせしめたけれども、わが国のエネルギーを如何に確保するか、それは、尖閣の海底に眠る天然ガス、石油を掘削することではないか、しかし、それに一切触れない。つまり彼は、国家の要素を意識していない亡国の宰相であることを示しており、力なき経済の維持は不可能であることを示している。今なすべきは、軍備の増強と国体の明確化である。国体の明確化とは、民族教育を強化すること。民族教育とは、戦前の軍国主義を言っているのではなく、わが国の本当の歴史を子供たちに教えることである。これは、思えば、我が日本がヨーロッパに教えたことです。日露戦争という空前絶後の戦争が20世紀初頭にありましたが、イギリスは日英同盟のよしみで中将以上を観戦武官として派遣してきた。ハミルトン中将は、日露戦争を観戦した。特に旅順攻略戦で日本軍の戦いぶりを観戦した彼は本国に帰り、エジンバラ大学の学長になる。「日本から学ぶものは将兵らの勇気ある行動である。」そして我々の先祖が勇気あって国家を支えたかを弛まなく、子供たちに教え続けなければならない、と、このように教育改革を提唱した。フランスもそうです。それから10年後に起きた第一次世界大戦で、ケンブリッジ、オックスフォード、7割の卒業生が戦死しています。これは、司馬遼太郎が罵倒する、乃木希輔大将の第三軍の戦いを見たからです。これは、わが国の教育改革が、ヨーロッパに与えたインパクトです。したがってわが国も同じことをする、それは教育の取り戻し、それは歴史の回復であり、英霊の回復。この日の丸を硫黄島、擂鉢山に掲げた将兵がいます。
 米ワシントン、アーリントン墓地入り口に巨大なアメリカ海兵隊記念碑がありますが、あれは、米海兵隊が、昭和二十年二月二十三日に硫黄島擂鉢山に掲げた星条旗を巨大な銅像にしたもの。確かにアメリカ海兵隊は擂鉢山へ星条旗を掲げた。しかし、翌二十四日、擂鉢山に掲げられていたのはこの日章旗であった。自分の死を賭して日の丸を掲げた日本兵がいる。何故か、硫黄島が落ちれば本土、東京が空爆されることになる。擂鉢山の日章旗をみたアメリカはたまげて物量に物を言わせ、爆弾の山を打ち込み、おっかなびっくりして擂鉢山へ登り、日章旗から星条旗へ替えた。その翌二十五日の朝、彼らは、また、擂鉢山で日章旗を見た。十六歳の通信少年兵が気絶し、捕虜になってそのことを伝えている。ただ、二十五日の日章旗は日本兵の血で染めていたので、輪郭はぼやけていたと、彼はそう伝えている。命を掛けて日章旗を掲げた兵士は何を思ったのか。一日でも、硫黄島が持ちこたえれば、サイパンから本土への爆撃が遠のく、それだけ自分たちの子供が疎開できる。


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