メルマガ「遥かなり台湾」より転載
KISOU3
八月七日に台中の北隣にある潭子(たんし)に住んでいる李さん宅
で絵画、書道、
写真などの展覧会が行われました。4階建ての豪邸の前にある以前工場だった所
に展示されて
いたのはいずれも李さんの親族などの作品。毎年この時期に一年間の成果を発表
し隣人、友人、
知人などを招いているのです。作品の中には短冊に毛筆で書かれた短歌もあり、
あまりにも草
書体の達筆な字で正確に読めませんでした。でも短歌の意味が中国語で翻訳され
ており、どん
な内容を詠んだのかわかりました。でもすごいと思いませんか?
詠んだ短歌を毛筆で書き、かつ中国語でもその意味を説明できるなんて。
また写真の中にはサクラを撮った写真があり、それは、今年の春福島に行って撮
ったという見
たことのない樹齢千年の見事なしだれ桜でした。
鑑賞後、23名もの会員(その大半が65歳以上)が会員宅に押しかけ、大盛況でし
た。昼ごはん
をごちそうになり、その後誕生会やカラオケでみんな楽しい半日を過ごしたので
す。
「仕出し弁当を食べて、全員日本語でしゃべっていて、台湾にいる気がしない。
まるで日本その
ものをこの家の中に持ってきたみたいだなあ。」
「皆さん高齢を感じさせないほど元気ですね。」とはじめて参加した日本人は感
想を述べていました。
台湾にはじめてきた日本人がまずビックリすることの一つが日本語を流暢(り
ゅうちょう)に
話すお年寄りの人たちがいることです。彼らは19545年の終戦まで日本人として生
きてきて、その
後中国からやってきた国民党支配下で今度は中国人にされてしまったのです。こ
のような二つの
時代を生き抜いてきた人たちを描いたドキュメンタリー映画『台湾人生』が日本
各地で上映され
多くの反響を呼んだそうですが、過日この映画を製作した酒井充子さんから
「来月25日(土)午後2時から、台中の国立図書館で「台湾人生」の上映会がある
わよ。」との
メールが届いて喜んでいます。映画の後酒井さんを交えての座談会もあるとの事
。中文の字幕つき
なので、一人でも多くの方に見てもらいたく、会員・知人・友人などに呼び掛け
ていこうと思って
いる次第です。
この映画の酒井監督は、台湾人生のHPの中で次のように語っています。
「台湾の日本語世代のみなさんにお会いするたびに、背筋がピンと伸びる思いが
し、自分が日本人
であるということについて考えさせられます。日本に統治されていた時代に多感
な青少年期を日本
人として過ごした日本語世代の存在は、台湾だけではなく、日本の歴史の一部と
して記憶されるべ
きだと思います。
彼らは日本に対する複雑な思いを抱えたまま、長い道のりを歩んできました。そ
の思いに向かって
カメラを回しました。五人の登場人物へのインタビューはすべて日本語です。み
なさんは、繰り返
し問いかける私に根気強く向き合い、優しくときに厳しく語ってくれました。
かつて日本人だった人たちの声を聞いてください。ほんの一部ではありますが、
日本が台湾でした
こと、今の日本が台湾にしていないことが浮かび上がってきます。そしてなによ
りも、時代にとら
われることなく、自分の人生に誇りを持って最後まで生き抜こうとする一人ひと
りの姿を、尊敬の
念を持って受け止めていただきたいと思います。」
台湾人生公式サイト www.taiwan-jinsei.com/ –
また、酒井監督著『台湾人生』の本が文藝春秋よりも出版されています。
映画の登場人物たちの映画に入らなかったエピソードやインタビュー、
映画に登場しなかった人たちのことも書かれてあります。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163725307
ついでに今年出版された台湾に関する本2冊を紹介します。
1『図説 台湾都市物語』河出書房新社 2010年2月発売
台湾では日本統治時代につくられた建造物が多数残っています。そしてその多く
が古跡に指定されて
おり、台北、台中、台南、高雄に現存する日本時代の建物に興味のある人に一押
ししたい本です。
2 『台湾と言う新しい国』まどか出版 2010年4月発売
この本は許世楷前駐日代表夫妻が書かれたもので、盧千惠夫人は本書 第1章の
中に下記のように
記していました。
私は、主人とは違って日本人の行く小学校に通い、「自分は日本人だ」と思っ
ていました。
日本語もクラスのみんなと話していて、とくに違和感はありませんでした。しか
し、いまから
考えると、やはりみんなとは少し違う、という思いがあったようです。クラスで
とくに仲の良
かった友達ふたりは台湾人でした。クラスは50人ほどで、そのなかで台湾人は3
人だけ。
この3人がとても仲良しだったのです。きっと「自分は日本人とは少し違うよう
だ」と肌で
感じるようになったのだと思います。
私が小学校で勉強したのは、『花咲かじじい』や『桃太郎』などの日本の物語
でした。
一年生のあるとき、先生が子供たちに「何かお話をしなさい」と言いました。台
湾人の子が
台湾でいちばん有名な『虎ババア』の物語を一年生のたどたどしい日本語で話し
はじめると、
先生は「そんな話よりも日本のお話のほうがいい」と言うのです。
こういうことからも、「台湾と日本はどこか違うのだなあ」とぼんやりと思っ
ていたの
ですが、なにしろ私の両親や父方の祖父は親日的な気持ちをもっていましたし、
私もそうで
したから、台湾人としての強い意識とか、日本に対する強い反感とか、そういう
ものは
ありませんでした。