【海角七号】届くか台湾人の思い

【海角七号】届くか台湾人の思い

2009.4.3 産経新聞

                  評論家・金美齢

 「私がこの十数年間で見た中で最高の台湾映画だ」と候孝賢監督が絶賛した「海角七号」の試写会が3月29日、アルカディア市ヶ谷で開催された。日本李登輝友の会が日本語版の翻訳を手伝い、一般公開を待つ運びになった。超満員の会場には、小林よしのりさんの姿も見え、熱気にあふれていた。

 製作費が少なく、話題にもならない作品だったが、上映されて2カ月で、台湾映画の興行成績トップに躍り出た。奇跡的に、すべての国産映画の記録を破ったのである。昨年11月週刊誌「新台湾」(現在休刊中)は「海角七号很台灣 撫慰受傷本土派」(リアルな台湾に回帰した映画に、傷ついた本土派=選挙に大敗した台湾派が癒やされる)と題するカバーストーリーをはじめ、30ページ近くを割いて紹介している。

 これは2人の友子さんの物語である。日本統治時代、日本人教師と相思相愛だった台湾人友子と六十余年後、台湾で孤軍奮闘し、台湾青年アガに恋する日本人女性友子。2人の運命は、7通の手紙で結ばれる。教師が教え子友子にあてて深い思いを切々と書きつづった手紙は当時は発送されず、その亡きあと、娘によって台湾に郵送されるが、あて先の「海角七号」は過去の住所で、配達できないでいた。

 アガも深い敗北感を抱えて、台北から故郷恒春に舞い戻ってきた。ロック歌手の夢かなわず、ギターを捨てて投げやりの日々。母親の愛人、地元の有力者の口利きで、郵便配達のバイトを始めたが、まるでやる気がない。

 登場人物は、妻に逃げられた原住民、勤勉なハッカ系、いいかげんで陽気なホーロー系の台湾人、台湾でキャリアを確立しようとあがいている日本女性などで、なぜか「外省人」(大陸出身者の子孫)が一人も出てこない。日本人歌手、プロモーションのための外国人モデル、多重文化の多彩なエピソード。リアルな南台湾で中国語は話されるが、外省人はいない。

 有力者の肝いりでフェスティバルに出演することになった地元のメンバーは、アガをはじめいずれも「問題児」だが、本番直前に7通の手紙は届けられ、アガは演奏の合間、友子に求愛する。

 「終わりよければすべてよし」。2曲しか持ち歌のない地元寄せ集めバンドは、大歓声の中、アンコールに「のばら」を歌う。これは日本統治時代の小学唱歌として、年配者が歌い続け、若者たちも自然に口ずさむ歌なのだ。エンディングは冒頭の日本人引き揚げシーンに戻る。埠頭(ふとう)に立ちつくす友子の足元にはトランクが。しかし、船上の教師はまともに別れが告げられず、身を隠している。自信と勇気を喪失したその姿は、敗戦のトラウマからついに立ち直れなかった現在の日本を彷彿(ほうふつ)させる。「…(あなたを)棄(す)てたのではない。泣く泣く手放したのだ」との手紙の言葉。敗戦直後の日本の姿そのものだが、今でも日本が大きく変わったとは言い難い。海角七号の英語はCape No・7。The Cape of Good Hope(喜望峰)。台湾人の思いが込められている。

 台湾では多くの若者が「感動した」と2回も3回も映画館に足を運んだ。挫折、癒やし、そして再生への希求。泣く泣く友子(台湾)を手放した青年(日本)。台湾人の優しさは、日本でも多くの観客を集められるだろうか。(きん びれい)


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