2014.2.12
中台関係で目にするニュースと言えば、双方で権力を握っている中国人同士の話し合いばかり。台湾人の意思を無視して、どこまで話が進められるのだろう。優しかった故・周英明先生が、「司馬遼太郎と台湾」の裏表紙で書いていたことを、思い出したので、シェアします。
「・・・60年代、台湾から留学してきたばかりの私に、一人の心やさしい日本人が言った。『お国は二つに分断されてお気の毒です。早く中国が統一して、ばらばらの家族が再会できる日がきますように』。私は唖然とした。台湾人は昔も今も家族一緒に暮らしている。朝鮮やドイツの『分断の悲劇』など関係ないのだ。本当は話が逆で、将来台湾に起こりうるとしたらそれは無理やり併合される悲劇なのである」。
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編集部:
今回、NHKは台湾当局と中国政府の担当者同士の会合について次のように報道している:
「台湾で中国政策を担当する閣僚が中国を訪問し、1949年の中台分断後、初めてとなる閣僚級会談を行った」
「中台分断」というのは、間違った表現である。本誌では、2005年の連戦訪中の際にこのことを指摘している(サーバー不調により、ネット上で引用されたものを再引用):
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「中台分裂」(中台分断)という用語は誤り
4月26日に始まった連戦中国国民党主席による中国訪問について日本のマスコミのいくつかは一様に次のような報道を行った。
「国民党主席の訪中は1949年の中台分裂後初めて」(共同25日)
「国民党トップの訪中は1949年の中台分断後初めて」(朝日26日)
「1949年の中台分断後初の国民党主席訪中」(讀賣26日)
「国民党主席の訪中は1949年の中台分裂後初めて」(時事26日)
「国民党トップの訪中は国共内戦に敗れて台湾に逃れた
1949年以降、初めて」(日経26日)
このように、日経以外はいずれも、「1949年の中台分裂(分断)」という文句を用いているが、これは歴史事実に照らせば誤りである。つまり台湾と中国が一つの国であるとの間違った前提に立っているから、そのような報道ミスを犯すのだ。
そもそも「中台の分裂」(支那大陸政権からの台湾の分離)は1895年のことである。つまり下関条約で清国が台湾を日本に永久割譲した例しかないのだ。
それ以降、台湾は国際法上、支那大陸政権に帰属することはなく、「分裂」というものは起こりようがないのである。
たしかに支那大陸の中華民国政権は1945年に台湾を軍事占領した際、終戦のどさくさに紛れる形で台湾の中国復帰を宣言したが、当時まだ台湾は、国際法的には日本の領土であり、この「中国復帰」には何の法的根拠もなかった。
その後1949年、支那大陸では中華人民共和国政権が樹立され、中華民国政権は不法占領中の台湾に亡命したが、台湾は当時、依然として日本の領土であり、これを以って「分裂」というのは正確ではない。
日本が台湾に関する主権を放棄するのは後年のサンフランシスコ講和条約によってである。同条約では放棄後の帰属先に取り決めがなく、当然台湾の住民に帰属するものと考えられた(しかし中華民国亡命政権は住民自決を許さず)。
しかしこの事実を中華人民共和国は断じて認めようとはせず、「台湾は古くから中国領土の一部で、・・・台湾に引き揚げた国民党はアメリカの支持の下で、すでに中国の合法的代表となった中華人民共和国に対抗し・・・それ以降、台湾と中国大陸の分離状態が56年近くも続きました」(北京放送25日)などといったデマを内外に向けて流している(そもそも「古くから」云々を強調すること自体、自己の主張の正当性に自信がないのだ)。「分離」とはこのように、中国が台湾欲しさに、歴史を捏造し、法理を歪曲して使っている言葉なのである。(略)