『軍事情報別冊』より転載
● 〜河陽兵庫之記 壱 その2〜
家村和幸
▽ はじめに
日本兵法研究会の家村です。
まずは、私が忘れられない歌を紹介します。
故郷はなれて3年の
街の夜風の冷たさに
俺は選んだ自衛隊
男命の根性を
鍛えなおすさ 御幸浜
これは、自衛隊の隊歌「友情の御幸浜」という歌です。
御幸浜とは、陸上自衛隊第一教育団が所在する武山駐屯地の住所です。
私は、昭和55(1980)年2月にこの第一教育団に新隊員・2等陸士として入隊
し、ここから30年にわたる自衛官人生が始まりました。この前年12月にはソ連がア
フガニスタンに侵攻して世界を震撼し、東西冷戦がピークを迎えていました。北方領土
への配備兵力も増強され、極東ソ連軍にも新型戦闘機が配備されつつあり、誰一人とし
て、この悪の帝国が、十年後に滅亡するなどとは思いもよりませんでした。その一方
で、自衛隊はまだ世間で日陰者扱いをされており、自衛隊に入隊すると言って、立派だ
と賞賛してくれる人よりも、何で自衛隊なんかに・・・という人のほうがはるかに多か
ったのが事実です。飲み屋で制服を着ていて酔っぱらいに絡まれたことも何度かありま
した。
第一教育団で受けたのは、新隊員前期教育でした。精神教育、基本教練、戦闘訓練、
64式小銃の分解・結合や基本射撃など、職種(昔でいう兵科)に分かれる前の共通的
なことを3ヶ月で徹底的に叩き込まれました。課業時間外にも隊歌演習があり、班長が
ヌカみそが腐るような?美声を張り上げて昔の軍歌や自衛隊になって創られた歌を一小
節づつ歌い、新隊員がそれに続いて歌いながら、これらを覚えていきました。冒頭に紹
介した歌もその中の一つでした。
教育中隊は、第1から第5の5つの区隊で構成され、各区隊は3個営内班(各10名
程度)に分かれていました。私は5区隊2班(52班)で、区隊長は防大卒ではなく部
内選抜幹部のO2尉、班長はK2曹、副班長はS3曹でした。
区隊長も班長も皆、厳しいながらも情愛に富んだ、明朗闊達な方々であり、新隊員た
ちが抱く自衛隊生活への不安や恐れもすぐに払拭されました。特に教育訓練では助教
(幹部教官の助手)として、また日常の生活をともにして班員の世話をし、起居容儀ま
で全ての指導にあたった班長・副班長の懇切・公平・慈愛心に満ちた態度や規律正しい
振る舞い、そして超人のような体力に心底から尊敬の念を抱いたものでした。今にして
思えば、K2曹、S3曹その他の班長も皆、二十代の青年だったのですが、今なおこう
した方々への尊敬の念は当時と全く変わっていないのです。
寒風吹きすさぶ日も、雨の日も泥だらけになっての訓練に明け暮れる毎日でしたが、
団結は強く、皆が一所懸命に頑張っていました。それでも脱落者は出ました。
教育が始まって2ヶ月が過ぎた頃、同期入隊した中でも最も体力があり、俳優のよう
な美男子で、しかも習志野にある最精鋭部隊・第1空挺団の空挺隊員候補だった○○2
士が、突然除隊を申し出てきたのです。理由は「入隊前に共に暮らしていた(同棲して
いた)女性から、どうしても帰ってきて元の生活に戻ってほしい」と繰り返し懇願され
てのことでした。この二人はどちらも両親がおらず、籍も入れずに夫婦同然に生活をし
ていましたが、金に困って男のほうが自衛隊に入隊したのでした。班長や区隊長の説得
にもかかわらず、○○2士の除隊意思は変わらず、とうとう退職することとなりまし
た。区隊長は新隊員を集め、「このたび、一身上の都合により・・・」とだけ紹介しま
した。
○○2士退職の前日、52班でささやかな送別会を行いました。新隊員前期期間は飲
酒が許されていなかったので、営内の娯楽室に集まり、コーラとジュースで乾杯しなが
ら、同期の班員が一言ずつ○○2士にまつわる思い出話や激励の言葉を述べ、その後は
まるで酒を飲んでの大宴会のごとくにコーラとジュースに酔って歌い、大いに騒ぎまし
た。
最後に班長のK2曹がいつもの笑顔で送別の言葉を述べました。それは、本当に短
い、たった一言でした。
「俺、なんだかすごく淋しいんだよな・・・。」
その後、千葉県の運送会社に入社し、トラックの運転士となった○○2士は、習志野
駐屯地の前を通るたびに、「俺、ここに来るはずだったんだ・・」との思いが胸を過
(よ)ぎったと語っていました。
私が武山の新隊員前期教育で学んだ最も大きなことは「男は、常に『強くかつ優し
く』あらねばならない。」ということでした。今もって「真の男」になりきれない自分
の弱さにいつも忸怩(じくじ)たる思いを抱きつつ、あの頃の班長たちのことを思い出
しては自分を叱咤しております。
さて、それでは本題の楠流兵法『河陽兵庫之記』に入りましょう。『河陽兵庫之記』
は、壱から伍の五つの章で構成されており、いずれも大楠公・楠木正成が読者に語りか
けるような文面で記述されています。そして、壱(第一章)では、兵の道を歩むものが
平素から心得ておくべきことを概括して述べています。今回は、この第一章の中段部分
を現代語訳で紹介いたします。
▽ 順 徳
世の中が平穏な時は、道徳的に正しい言動をもって事に当たれ。奸賊(底知れぬ悪
人)になってはならない。この世の誰もが陥りそうな有害な誘惑に対しても、これを退
けることができてこそ武士である。ましてや、自分が奸賊となって、世間の人々の害悪
に成るなどは論外である。
兵法の流派は大きく分けて四種あり、その学ぶことは端々に分かれて多いようだが、本
当に重要なことは、敵に勝つことと、それにより大治を行うことなのである。
敵に勝つために学ぶことは何か。それは正成が生涯秘密にしておくところの「己陣一
法」のことである。(これは教えられない)
大治とは何であるかについて述べよう。上下が和し、諸人がうれしそうに喜び、楽しい
ことをなにも施されずとも楽しみ、賞をなにも与えられなくとも満足し、国と人々が親
睦して、上の者は恩恵を与え、下の者は果たすべき任務をしっかりと尽くし、その君主
を尊ぶことは霊神が在するようであり、懐かしむことは父母の如くであり、罰すれども
怨まず、狎(な)れていても侮らず、洋々悠々と徳化が下に流れていく、これこそが
治まっている世の中(大治)の効果である。
人が私に親しむことがなければ、何故に親しまないのかということを理性的に判断し
て、下の者が警戒心を持たずに近づき親しむための方策を思案せよ。ただし、あまりに
も人を親しくさせようとすると、媚びへつらうことになり見苦しいものである。全てに
おいて我が心を誠にして、自然の温和を冀(こいねが)うことが重要である。珍しくな
いことではあるが、天の時や地の利といえども、人の和に勝るものではない。
さて、ここで一つ質問しよう。貴殿が百万人の軍師となって、優れた武器・装備をもっ
て固めとし、その「智」は5台の車に積むほどの書を暗誦していて、しかも「勇」と
「謀」を兼ね備えたとしても、人の「和」が無い場合には何ができるだろうか。
この道はあらゆる戦乱に勝ち、しかも人を自分の思うように動かせることを旨とするも
のである。そうは言えども、人を侮ることだけは堅くこれを禁ずる。
▽ 慎 独
勤勉、慎み深さ、信義、礼節、これらは全て兵の四徳である。つまずいて倒れる間の
ような、ほんの一瞬の間においても大事(人として大切にすべき事)を忘れず、人が陥
りそうな危い事に直面する時こそ、兵の大事を知らなければならない。大事とは「人の
心」である。
弓馬武芸の家に生まれて、兵の名を失ってはならないと思うのであれば、毎朝寅の時
(午前四〜六時頃)に起きて、我が身を浄め、衣服を替え、諸天に祈りの誠を捧げ、神
明を崇敬し、信じて疑ってはならない。誡めを細かい点にまでゆきわたって実践し、邪
を除き、愚にならず、痴にならず、心は均衡を保っているか、道は通じているか塞がっ
ているか、これらを独りで知り、独りで思えば、これによって知識がはっきりとよくわ
かってくるのである。
立派な人とつまらぬ人と、智に至ると愚に至るとの違いは、その根源を思えば、ただ
「独り慎むか、慎まないか」の違いである。独りであることを慎んで自ら心に欺くこと
がなければ、礼節や信義もまたその身から外れることはあり得ない。天地の神明が物体
へとのり移り、智もまた偉大な霊力に導かれて発揮されるものである。
およそ天の道を知らない者は、地の道、人の道についてもわかっていない者である。
天道というのは、陰陽が交互に推し移って寒さ暑さをもたらし、人の生と死と栄誉と屈
辱と、これらは全て天道から来るのであって、人のなす業でなない、ということであ
る。この心をよく自分のものとした時、諸法(宇宙の一切の現象)を疑うことが無く、
この道にも疑いが無くなる。疑いがないときには、すなわち私がない。私がないときに
は、すなわち人の心を知る。人の心を知るときは、すなわち物事がはっきりとよくわ
かってくる。あらゆる事がはっきりとわかっていることを「良智」という。
そうであれば、兵の恥というものは、ものごとを知らないがために義理というものがわ
からず、人から信用されずにうまいことを言って相手をだますことが多く、相手に敬意
を払わないことで身を亡ぼし、勇気が無いために家業に励まないことである。これらを
「四恥」という。
これらのことをよく分別して、常に心を忽(ゆるが)せにしてはならない。
(注)忽せ:大事なこととは考えずに、いいかげんにしておくこと
▽ 知 運
全ての兵道には義に死するという栄誉だけがあって、不義に生きるという辱めはあり
得ない。しかしながら運命に十分に深く通じていなければ、時として過ちを犯すことも
ある。もしも過ちを犯して、物の道理においてこれをできる限り正さなければ、たとえ
自己満足して死んだとしても、公私のために何の益するものがあろうか。
運には五つのものがある。いわゆる天運、世運、人運、義運、作事の運がこれである。
優れた君主の下に忠良なる家臣があり、善政がなされて、すべてが法に基づいていて
も、水害や干害、火災、あるいは民が疾病に苦しみ、あるいはその君主が短命にして不
幸であり、また世の衰運に遭う。これを天運という。悪どい主人が長生きし、一生歓楽
を極めるようなこともまた天運である。
自分に直接その原因があるわけでもないのに、あるいは世の中とともに繁昌し、あるい
は世の中とともに衰退し、死生興亡もそのまま時の運と重なり、また天運に因るもの、
これを世運という。
その時勢の権(権威、権力など)によって、運の栄達があり、窮迫がある。これに対し
て、物事の機を察し天の心を確かめ、進退去就を自ら悟って自ら致す、これを人運とい
う。
まだ起こらないことにも則として従うところがあり、既に起きたことにも一定の規準が
ある。こうしたことを全て当然のこととして義のなさしむるところのものは義運であ
る。
謹慎、誠実、恭謙(慎み深く、へりくだった態度)、温良、力を尽くしてことにあた
り、あるいはその反対に度を過ぎてきびしく、少しも思いやりが無く、大事なことをい
いかげんにし、堕落し、でたらめであり、驕慢、などの事(わざ)に応じて、運に禍
福、短長、長寿と夭折、満ち溢れたり欠乏したり、それぞれになることを作事の運とい
う。
物事にその兆しが最も顕著となるのが人運である。それゆえに、明智の士は人運だけを
最も大切なものと考え、義運に順い、作事の運を慎んで、天運を決して疑わない、これ
を己の信条としている。運が大事である事をよく知るときは、すなわち道を守ることに
おいても有益である。
人運を明らかに示しながらも、世の運をとがめないこと。理(道理にかなうこと)と
非(道理にかなわないこと)を心に決めて、死生存亡を義にまかせる。これを真の明智
としなければならない。