【楠木正成の統率力第29回】飯盛城攻略作戦 その5

【楠木正成の統率力第29回】 飯盛城攻略作戦 その5
         

家村 和幸

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

さて今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の五回目、
飯盛城攻めの中盤です。

 今回も兵法の天才といわれた楠木正成が、作戦上
の判断を誤ります。しかし、それを下の者に指摘された
ことに対する態度にこそ、楠木正成の高潔な人格や、
リーダー・統率者としての偉大さを感じずにはいられません。

 また、勇気を持って殿の誤りを指摘できる郎従がいた、
というのも楠木勢の強さの秘訣だったのかもしれません。

 それでは、本題に入りましょう。

【第29回】 飯盛城攻略作戦 その5

(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の
法事付諸大将恩賞の事」より)

▽ 飯盛の城兵、出撃に懲りて守備に徹する

 その後、楠木勢は敵を城から引き出そうとして、
あれこれと謀ったのであるが、以前のことに懲りていた
敵は、城を出て戦おうとしなかった。

 楠木は小勢であったので、城を攻めることもできず
に日々が過ぎていった。その間に敵はあちらこちらに
要害をこしらえ、構えも非常に厳しくなっていったので、
夜討ちで攻め寄せることもできなくなってしまった。正成は、

 「そうであれば、こちらが小勢であるのを見せよう」

と云って、城の近くまで兵を出した。約6千余騎を三軍に
分け、備えは11であった。しかし、城ではそれぞれの陣
に兵を立てたままで、打って出ようとはしなかった。城兵
は全部で約1万5千はいたであろう。

 楠木は敵をおびき出そうとして、備えを崩して引いたけ
れども、敵は出撃せず、元の陣にそのまま居たのであった。

▽ 正成、家の子・高畠を敵に通じさせる

 それから数日を経て、楠木は家の子(一族出身の家来)
である高畠才五郎と云う者に命じて、主人である正成に
対する不平不満を言わせて敵に近づかせた。そして、高畠
に味方の情報を敵に提供させ、彼が言ったとおりに、ある
いは夜討ちし、あるいは兵を出撃させた。

 城中の人々も始めのうちは疑っていたが、後には高畠
を信頼するようになって、すったり打ち解けてしまった。

▽ 城兵と高畠が密談して出撃を準備

 城中では糧が尽いてしまったので、諸大将は、

 「楠木一人の小勢により城に籠められ、多くの者たちが餓
死してしまうことこそ口惜しいではないか。日本中を敵に回す
ことなど本意であろうはずがない。さあ、楠木との一合戦を快
くして、名を後代に残そうではないか」

と申していたが、

 「幸いにも高畠がいるので、彼と作戦を話し合おう」

と言えば、「そうだ、それがよい」とのことで、高畠の陣に人を
遣わし、あるいは城中へ忍びを入れて作戦を談義したのであった。

 その結果、「早朝に合戦するのが最も良い」ということになり、
宵から高畠の陣に200余人の兵を遣わした。

 彼等は「戦が半ばになろうとする時に、(楠木の)陣中に火をか
けよう」とのことで合意した。

▽ 正成、先手を打って高畠の陣を攻める

 これらは、あらかじめ楠木が指示していた事だったので、
敵が攻め寄せる時機がきたものと判断した楠木は、前もっ
て2千余騎の兵を隠密に飯盛城下に伏せておいた。そして、
高畠の陣所へは選りすぐった精兵500余騎を遣わして云わせた。

 「才五郎が私に対して陰謀をたくらんでいるとのこと、常々
聞いていたけれども、家の子であるからには、よもやそのよ
うなことはあるまいと思っていたのだが、敵の陣の取り方、
兵を進める様子などは尋常ではない。どうやら本当の陰謀
のようである。

 代々仕えてきた家人が陰謀を図るとあっては、正成の運命も
もはやこれまでと思われる。正直に思うところを申せ。そうすれ
ば私は腹を切って、おぬしの恨みを晴らしてやろうではないか。」

 高畠は、使いの者に面と向って、

 「ゆめゆめそのような事はございません。あるいは身内の人々
の中に、そのような事があるかもしれませんが、それは知りませ
ん。私につきましては、神に誓ってそのようなことはございません」

と申し開いた。正成は重ねて、

「そうであれば今日の戦は勝ったも同然」

と伝えて打って出たところ、敵は1万5千の兵の中から1万を
出撃させ、残りの5千を城に置いたのであった。

▽ 高畠の郎従、主(あるじ)に謀反をおこすふりをする

 敵・味方が互いに矢合せをして合戦に及ぶと、その半ばで高
畠は決めていた合図に従って、陣屋に火をかけたのであった。

 正成が残しておいた郎従は、「やはりそうだったか」と云って、
高畠の陣に乱入した。その時、高畠の郎従が、

 「そもそも、これは何事か。三代にわたる御恩のある正成殿に背い
て、やがてすぐに亡ぶであろう北条の残党と我らが与(くみ)することに
なるなど、何かの間違いではないのか。才五郎殿の恩義は一代限り
であるが、高畠の御家からの恩義は末代まで及ぶのだぞ」

と云って、高畠を生け捕る真似をして、引っ張って出ていった。

 こうして高畠の郎従は、楠木の兵と一つになって、敵200余人をあ
ちこちに追い詰めて討ち取り、火をかけたならば、城から出撃してき
た1万余騎の敵は競うようにして攻めかかってきた。

▽ 出撃した敵を撃破し、城を攻めずに引く

 楠木は川岸が一段高い小川を前に当てて陣を取っていた。敵
が川を渡って乱れ入るところを、楠木の射手が散々に弓を射るこ
とにより、射立てられた敵は身動きが取れなくなった。そこへ、
かねてから飯盛の山裾に伏せていた兵2千余騎が、一斉に時の
声を挙げて敵将の陣へと懸け入ったので、敵陣は大混乱に陥り、
数えきれぬほどの者が討ち死にした。

 楠木の先陣も、その一陣は過半が危うい状態になっていたが、
その果敢な攻撃により勝つことができた。楠木は後に、「飯盛の城
下に伏せていた兵は、攻撃開始が少し遅かったようだ」と語って
いたという。

 それでも城は少しもどよめくことがなかったので、楠木勢の
若い兵たちが「城を攻めましょう」と言ったところ、正成は「攻めない」
とのことであった。その理由は、城に新手の兵が5千もいたからである。

 恩地が「敵は寄せ集めの軍勢でございますものを」と言ったけれども、
正成は「味方は疲れておることだろう」と云って引き返したのであった。

▽ 恩地、城を攻めるべきであったことを具申する

 後に聞けば、「攻めれば容易く落ちたであろう」とのことであった。

正成が、

 「落ちることもあっただろう。また、兵によっては遁(のが)れること
ができないと知ったからには、たちまち心を一つにすることもあるのだ
から、今度こそ必ずや城は落ちるにちがいないのであれば、一日二
日延びたとしてもたいしたことではない。先が見通せないような戦い
をして何になろうか」

と言ったその時、恩地が云うには、

 「仰せではございますが、それは味方に運がつかぬときのことで
はございませんか。これほどに運が開けていたときは、勝ちに乗れ
ば、少しぐらい危うい戦にも勝つものではございませんか。その上、
いつも語っておられるように、一方を開放して三方から攻め寄せれ
ば、敵が落ちないということはあり得ないでしょう。ただし、敵の中に
一人でも賢い者がいて、周囲の者たちに『とても遁れることはできま
い。しかし、敵は疲れているぞ』と下知(命令)して、兵の士気を高揚
し、勇気づけて戦わせれば、こちらも危うくなりましょう。・・・ところで、
城中に誰かそれほどの将がございましたか」

とのことであった。これを聞いた楠木は、手をはたと打って、

 「仰せられることはもっともでございます。一つ一つ的(まと)を得て
おられる。攻めれば必ず落ちていたものを・・・。必定の勝ちを不定
と見誤って、今日の戦にもまた、最良の判断ができなかった」

とのことで、あえてこれを指摘してくれた恩地に深く感謝したのであっ
た。そして、

 「多門丸のこと、これより後はあなた方にお任せいたします」

と約束して、銀剣一振りを千余貫の所領とともに与えたのであった。
皆がこれをうらやましがったとのことである。

▽ 高畠は隠居し、後に賞を与えられる

 一方で高畠は、わざと隠居したのであった。このようにしなければ、
後々の謀がやりにくくなるからとの思いからであった。高畠は、終生
このことを人には語ることがなかった。

 その頃、人々は高畠の行為を実際の陰謀であったかのように
噂していたのであった。

 飯盛の城が落ちて後、しばらくしてから高畠はあらためて召され、
忠賞が行われたのであったという。

(「飯盛城攻略作戦 その6」へ続く)

(以下次号)

(いえむら・かずゆき)

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● 著者略歴

家村和幸 (いえむら かずゆき)
1961年神奈川県生まれ。元陸上自衛官(二等陸佐)。
昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、
昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長
まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、
国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、
情報幹部、運用訓練幹部を拝命。
その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、
戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、
幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育
訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官。

現在、日本兵法研究会会長。

http://heiho-ken.sakura.ne.jp/


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