【必読】李登輝元総統の新著『李登輝より日本へ 贈る言葉』

【必読】李登輝元総統の新著『李登輝より日本へ 贈る言葉』

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

6月11日、李登輝元総統の新著『李登輝より日本へ 贈る言葉』が発売!

 李登輝元総統が新著『李登輝より日本へ 贈る言葉』を上梓され、6月11日、全国の書店で発売とな
る。版元は月刊「WEDGH」を発行するウェッジ。A5判という通常より大きいサイズ(月刊
「文藝春秋」などと同じ大きさ)で、ハードカバー。本文272ページ。

 まずカバー表紙に目を魅かれる。表紙のタイトル文字はいまどき珍しい金箔押し。この金箔押し
の文字と帯の色、表紙の色がマッチして深みを出し、品格を感じさせる。本文の組み方も、通常よ
りゆったり組んでいるので読みやすい。本文紙の手触りもふんわりとして上品だ。

 ほぼこれだけで、本のクオリティが分かる。ウェッジ編集部の意気込みと気配りが隅々まで届い
ていることが一目瞭然で、心地よい緊張感がみなぎっている。

 本書の内容は、これまでのいわゆる李登輝本の集大成と言ってよい。15年前の6月に出版された
『台湾の主張』(PHP研究所、1999年)に匹敵するインパクトがある。『台湾の主張』を出発点
とするなら、本書は帰結点を為すのではないだろうか。

 ただし、李登輝元総統は昨年から、台湾の民主主義をさらに深化させるため、地方自治の健全化
を実現しようと「台湾第二の民主化」を全身全霊で進められている。現在はその途次にある。

 その点で、残りの人生を捧げると宣言されたこの「第二の民主化」が達成されたときが終結点と
も言え、本書はこれまでの総括という意義を有している。

 下記に、本書の目次とともに、いささか長い「はじめに」の全文をご紹介するが、本書の内容が
この一文に凝縮されている感がある。まさに字義どおり「日本人必見」の本だ。

*本書は本会でも取扱う予定で、近々ご案内します。

・著 者 李登輝
・書 名 『李登輝より日本へ 贈る言葉』
・体 裁 A5判、上製、272ページ
・定 価 本体2,400円+税
・版 元 (株)ウェッジ
・発 売 平成26(2014)年6月11日

◆『李登輝より日本へ 贈る言葉』
  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3591

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はじめに

第1章 再生する日本
   日本が明るくなった
   安倍総理によって攻勢に転じた日本外交
   アベノミクスと「失われた二十年」
   日銀改革に期待
   「原発ゼロ」の非現実性
   夢の「核融合」発電
   トリウム小型原発の可能性
   安倍新政権の使命の重大さ
   安倍総理へのエール

第2章 李登輝の台湾革命
   自我に苦しんだ少年時代
   小我をなくして大我につく
   マルクス主義への傾倒
   二・二八事件「犬が去って、豚が来た」
   台湾の歴史の暗黒時代
   蒋介石による排日教育世代
   国民党に入党
   蒋経国学校
   台北市長・台湾省主席をへて副総統に
   「私ではない私」
   軍を掌握する
   国民党との闘い
   司馬遼太郎と私
   台湾人のアイデンティティ
   「歓喜の合唱」
   台湾の改革、いまだ終わらず
   台湾における「中華思想」の復活

第3章 中国の歴史と「二つの中国」
   「中国五千年」
   新儒教主義
   なぜ「支那」がいけないのか
   中国人には「現世」と「私」しかない
   「天下は公のために」
   台湾モデル
   「一国二制度」はあり得ない
   台湾は「生まれ変わった」
   特殊な国と国との関係
   「台湾中華民国」

第4章 尖閣と日台中
   台湾にとっての「尖閣」
   中国が狙う両岸の「共同反日」
   「千島湖事件」と「台湾海峡ミサイル危機」
   安倍総理の断固とした態度
   中国の独善的な論法
   韓国人と台湾人
   「日本精神(リップンチェンシン)」と「謝謝台湾」

第5章 指導者の条件
   人命より体裁を優先した民主党政府
   緊急時の軍隊の役割
   リーダーは現場を見よ
   指導者は「知らない」と言ってはならない
   「生きるために」――日本の大学生からの手紙
   孤独を支える信仰
   「公義」に殉ずる
   「公」と「私」を明確に区別する
   カリスマの危うさ
   劉銘伝と後藤新平
   台湾で最も愛された日本人
   権力にとらわれないリーダーシップ
   福澤諭吉の問題提起
   「伝統」と「文化」の重み
   エリート教育の必要性
   「知識」と「能力」を超えるもの

第6章 「武士道」と「奥の細道」
   オバマ大統領の最敬礼
   『学問のすゝめ』
   儒学の思弁より実証的学問
   東西文明の融合
   「武士道」の高い精神性
   日本文化の情緒と形
   「奥の細道」をたどる
   靖國神社参拝批判は筋違い
   変わらぬ日本人の美学
   一青年からの手紙にみた日本人の精神文化

第7章 これからの世界と日本
   「Gゼロの世界」
   平成維新のための「船中八策」
   若者に自信と誇りを

おわりに

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2>> 李登輝元総統新著『李登輝より日本へ 贈る言葉』の「はじめに」全文

 台湾がまもなく旧正月を迎えようという今年一月末、テレビでは「台湾新幹線の乗務員が日本の
新幹線で接客研修」というニュースを報じていました。聞けば、昨年十二月には日本の新幹線の乗
務員が台湾で研修を行っており、日台交流研修の一環だということでした。

 日本と台湾の密接な関係を象徴するものは数多くありますが、台湾新幹線はその代表的なものの
一つと言えるでしょう。

 日本で研修を受けた台湾新幹線の乗務員は「日本の接客は非常に丁寧。私たちももっと練習して
『おもてなし』の心を学んでいきたい」と感想を述べていましたが、私はこんな形の日台交流もあ
るのかと唸うならされました。

 昨年夏に東京オリンピック開催が決定してから、日本の雑誌や新聞で「おもてなし」という言葉
を目にすることが多くなりました。私も二〇〇五年末、正月を日本で過ごすために家族とともに名
古屋や関西を訪れましたが、そのときに乗車した新幹線のサービスの素晴らしさにほとほと感心し
たのを覚えています。

 新幹線の乗務員は、車内に出入りするたびに丁寧におじぎをし、乗客に細やかな気配りをしてい
ました。通路や座席にはチリひとつ落ちておらず、トイレは常に清潔に保たれている。電光掲示板
には目的地の天候や気温が乗客へのサービスの一環として表示され、私たちを乗せた新幹線は到着
予定時刻ちょうどにホームへとすべり込んだのです。

 私が日頃から常々評価する日本精神を形作っている誠実さや真面目さ、思いやり、滅私の心、時
間厳守といったものが体現されたのが日本のサービスであり、結実したものが「おもてなし」の心
と言えるのではないでしょうか。

 私は、日本人が持つこの精神が改めて素晴らしいものであると強く確信すると同時に、いまでも
日本の社会でその精神が失われずにいることを目にして感激したのです。

 こうしたサービスの分野で台湾が日本に学ぶことはまだまだ多くあります。新幹線を通じた日台
交流が台湾のサービス向上に役立つことを期待しています。

 前置きが長くなりましたが、日本と台湾の結びつきはかくも強く、台湾には昔の日本がいまも息
づいていると同時に、日々刻々と変わる国際情勢のなかにあっても、日台の絆が未来へ向けてます
ます強くなっていくという思いを禁じ得ません。

 私は今年一月で九十一歳を迎えました。一昨年の十一月に受けた大腸癌手術に続き、昨年七月
には首の動脈にステントを入れました。いよいよ自分に残された時間を意識しなければならなく
なったと感じる次第です。

 この本には、純粋な日本教育を二十二歳まで受けて育った元日本人ともいうべき李登輝の精神世
界をひも解くと同時に、私という人間がいかにして形成されたのか、日本精神や武士道といった日
本が世界に誇るべき素晴らしい財産に対する評価、我が祖国台湾の現状と未来、長らく「片思い」
が続いた日台関係、国家の行く末を左右する指導者の条件や修練など、日頃から考えていることの
集大成と言えるものを盛り込んだつもりです。

 夜ベッドに入っても、朝目覚めても、頭をよぎるのは、これから台湾がどうなっていくのかとい
う思いです。と同時に、日本のこともそれ以上に気懸かりでなりません。幸いにして、一昨年十二
月に再登板した安倍晋三総理によって、日本が長らく迷い込んでいた暗いトンネルに一筋の光明が
差し込んだようにも思います。

 日本と台湾は運命共同体です。日本が息を吹き返せば、必ずや台湾もそれに引っ張られて明るく
なるのです。中国の台頭が言われて久しいですが、アジアのリーダーとして相応しいのは日本をお
いて他にないと私は断言します。日本経済の再生は、中国が持つ市場の大きさや経済に目を奪われ
がちな台湾の人々の関心を日本へ向けさせる絶好の機会とも言えると思います。

 本書は、日本の復活を心から期待する李登輝から日本人へ贈るメッセージです。

 本書の原稿も最終チェックの段階に入った頃、台湾と中国の「サービス貿易協定」発効に反対す
る学生たちが立法院に突入し占拠したというニュースが飛び込んできました。この付記を執筆して
いる時点で占拠は二週間あまりとなっており、どのような結末を迎えるか予断を許しませんが、私
の思うことを述べておきたいと思います。

 思えば二十四年前のちょうどいまと同じ季節、いくら南国台湾とはいえ三月の朝夕は時折ひどく
冷え込むこの時期に、やはり台湾大学を中心とする学生たちが台北市内の中正紀念堂で座り込みや
ハンストを行っていました。

 ことの発端は、何十年も改選されない国民大会代表が、その退職に際し、高額の退職金や年金な
どを要求していたことに対する抗議でした。この座り込みが報道されるや、中正紀念堂には学生や
支持者が続々と集まり始め、最終的には六千人を超える規模になったと記憶しています。

 その三年前の一九八七年には戒厳令が解除されていたものの、未だ国民大会には「万年議員」が
居座って禄を食み続けていましたが、その根拠となっていたのが、台湾と中国大陸は未だに内戦状
態にあるとして憲法の機能を制限し、国家総動員のために設けられた「動員戡乱時期臨時条款」で
した。

 学生たちは万年国会の解散に加え、動員戡乱時期臨時条款の撤廃、民間からも識者を集めた国是
会議の開催、民主化のタイムテーブルの提示という四大要求を掲げ、政府、つまり総統の任にあっ
た私に突きつけたのです。

 私はと言えば、当時確かに総統の任にありました。とはいえ、それは一九八八年一月に蒋経国総
統が急逝し、憲法の定めにしたがって副総統だった私が昇格したにすぎず、私のことを「ロボット
総統」と見る向きも多かったのです。

 さもありなん、国民党内で派閥もなければ後ろ盾となる元老もいない、軍も情報機関も掌握して
いないのだからそう見られたのも当然でした。

 総統就任後、私は時をおかずに?経国路線を継承することを表明しました。蒋経国総統の急逝に
よる党内の動揺を抑え、台湾社会を安定させることが何よりも先決すべき問題だったのです。

 台湾の民主化を推し進めるためには、名実ともに国民大会代表による支持を受け、選挙によって
選ばれた総統にならなければなりません。そこで私は、代理総統の任期が切れる一九九〇年春を視
野に、李元簇副総統候補とともに支持を取り付けるべく、一瞬も気の抜けない選挙戦を戦っていま
した。

 二月、党の臨時中央執行委員全体会議でわれわれが正副総統候補として指名されたものの、翌月
の国民大会で正式決定される前にひっくり返そうとする非主流派勢力によるクーデター工作が白熱
しており、日々予断を許さない状態にありました。

 そして折も折、学生たちによる座り込みが始まったのは、国民大会での総統候補指名を翌日に控
えた三月十六日のことだったのです。

 というのも、それに前後する三月十三日、国民大会は台北市郊外にある陽明山中腹の中山楼で代
表大会を開催し、「動員戡乱時期臨時条款修正案(延長案)」を満場一致で可決したのです。一九
四八年の発布以来、時限立法的性格を有する臨時条款の期限延長を毎年自分たちの手で行うという
悪例がまかり通っていたのです。

 しかし、民主化への胎動が聞こえ始めたこの年、高待遇の特権を手放そうとしない国民大会代表
に抗議する学生たちが中正紀念堂で座り込みを始め、人民の怒りを表明したのも当然の帰結でした。

 学生たちの声は燎原の火のごとく広がり、民主化を望む声は時間が経つごとに大きくなっていき
ました。そこで私は学生たちが座り込みを始めた翌日には、テレビを通じて、人民に対し冷静に理
性を持って行動するようにと呼びかけると同時に、政府側も民主改革を加速させることを再度表明
して、その要求に応えようとしたのです。

 日増しに大きくなる人民の声に押されるように、私は十九日に「一カ月以内に国是会議を開催す
る」と表明しました。翌二十日には立法院で与野党が協議し、国是会議開催に加え、「動員戡乱時
期の終結」や「民主化のタイムテーブルの提示」を総統に提言することが決まったのです。

 実際、学生たちの要求が、私自身が推し進めたいことと完全に一致していたのは間違いありませ
ん。二十一日、学生運動によって政局はやや混乱していたものの、国民大会の支持を取り付け、選
挙を勝ち抜いて総統の座に就いた私は、早速学生代表を総統府へ呼び、彼らの声に直に耳を傾けた
のでした。

 実を言うと、学生たちが座り込みをしている中正紀念堂へ私のほうから赴きたかったのですが、
国家安全局から「万全の警備ができず、不測の事態が起きかねない」として強く反対されたので
す。そのため、夜中に車両で中正紀念堂の周囲を一周して学生たちの様子を見て回ったこともあり
ました。

 私が会った学生代表は、記録によると五十三人となっています。彼らも混乱していたのでしょう
か。日中に秘書長を派遣して「代表者は総統府へ来るように」と伝えてあったのですが、彼らが来
たのは夜八時を過ぎていたと記憶しています。

 私は「皆さんの要求はよくわかりました。だから中正紀念堂に集まった学生たちを早く学校に戻
らせ、授業が受けられるようにしなさい。外は寒いから早く家に帰って食事をしなさい」と彼らを
諭したことを覚えています。

 彼らは中正紀念堂へ戻り、協議のすえ翌日早朝には撤退することを発表しました。それを聞いて
私も心底ホッとしました。私の心のなかに民主化を推し進める意欲があったことはもちろんです
が、寒さに震えながら座り込みを続ける学生たちの姿を見ていられず、一日も早くキャンパスや家
族のもとへ帰してやりたいと思っていたからです。

 今年三月十八日、学生による立法院占拠に端を発した「太陽花(ひまわり)学生運動」ですが、
二週間あまり経った現在でも馬英九総統は学生たちの声に耳を傾けようとせず、「サービス貿易協
定がこのまま発効しなければ台湾の信用問題にかかわる。学生たちの立法院占拠というやり方は違
法」などと、本質的な問題から目をそらし、「協定発効ありき」の姿勢を崩していません。

 ここで私は強く言いたい。

 立法院を占拠した学生たちには、学生たちなりの意見があります。彼らだって国のためを思って
行動しているのです。あの場にいる彼らだって国のためを思って行動しているのです。あの場にい
る学生たちのなかに個人の利益のために座り込んでいる者など一人としていません。彼らに何の罪
があるというのでしょうか。馬総統は一刻も早く彼らの話を聞き、少しでも早く学校や家に帰す努
力をするべきです。

 本文でも述べていますが、指導者たる者、常に頭のなかで「国家」と「国民」を意識していなけ
ればなりません。指導者は人民の声にできるかぎり耳を傾け、その苦しみを理解すると同時に、誠
意を持って彼らの要求に具体的に応え、解決の道を探るべきだと私は信じています。馬総統は
「党」や「中国」のことしか考えていないようにも思え、同じ総統の立場にあった者として残念で
ならないのです。

 とはいえ、この十数日の間、学生たちが台湾に対して見せた情熱や理想の追求は明るい希望をも
たらしてくれました。そして三月三十日には、総統府前でサービス貿易協定の密室協議に反対する
デモを行い、台湾の歴史上例をみない五十万人(主催者発表)という人々が総統府前広場を埋めた
のです。

 実はこの日、私も参加したいと思っていたのですが、二人の娘と孫娘に「まだ風邪が完全に治っ
てないでしょう。そのかわり私たちが行くから」と諭される始末でした。

 帰宅した孫娘が興奮気味に「本当にたくさんの人が集まっていて身動きもとれなかった。あんな
にもたくさんの台湾人が立ち上がったのよ」と報告してくれるのを聞きながら、私は学生たちに対
して感謝の念さえ持ち始めていました。なぜなら、民主主義というものは、単に投票の権利を手に
することではなく、人民自ら政治へ参加すると同時に、政府を監督することによって初めて実現さ
れるということを広く知らしめてくれたからです。

 ともあれ、この学生運動はすでに台湾の民主主義の将来と発展に多大なる影響を与えたものと私
は確信しています。人民こそが国家の主人であり、台湾の未来は台湾人によって決せられるものだ
ということを学生や人民たちが実践躬行で示したのです。指導者たる馬総統は問題を正視し、台湾
の発展のため積極的に解決する努力をするべきです。

 この学生運動がどのような結末を迎えるか心配は続きますが、その一方で台湾の民主主義の発展
を全世界に披露する契機ともなったことは間違いありません。そのことを一人の台湾人として何よ
りうれしく、そして誇りに思うのです。