11月17日、台湾独立運動に一生を捧げた黄昭堂博士が亡くなられた。突然の訃報に愕然
とし、その喪失感の大きさに、体の震えが止まらなかった。
台湾の将来への道筋を照らし続けた大きな灯台のような存在を、私たちは失った。
黄昭堂先生がいなかったら、今の台湾の民主的社会、自由はなかった。台湾の民主主義、
言論の自由、生活の自由、それらは決して空から降ってきたものではない。独裁政治の下
で言葉も行動も厳しく統制されていた台湾の状況を打ち破るために、命をかけて戦った闘
士たちがいたからこそ今日の台湾はあるのだ。
1960年、私の父、王育徳と五人の若者は、東京で「台湾青年社」を立ち上げ、台湾独立
運動を始めた。その中に黄昭堂氏がいなかったら、この組織も台湾独立運動も、これだけ
長く続けることはできなかっただろう。
黄昭堂先生の頭の良さ、ふところの深さ、ユーモアを解する明るい性格が皆をまとめ、
常に希望を持たせてくれたのだ。
台湾独立運動は、台湾人の尊厳を取り戻し、自由で民主的な国家を建設することを目的
として続けられてきた。しかし、アメリカの援助を受けている国民党政府の圧政を覆すの
は、限りなく不可能に思えるほど、困難なことであった。
それでも、海外での台湾独立運動の輪は確実に広がり、1980年代以降の台湾の民主化に
大きな影響を与えるに至った。そして、李登輝前総統のもとで、台湾は国民党の一党独裁
体制から脱し、民主主義社会へと生まれ変わった。
しかし、目標はまだ達成されていない。一月ばかり前、日本に来た黄昭堂先生と、私た
ちの目標について再確認したばかりだった。
「台湾人の多数意志に基づく国家を作り、国際社会に新国家『台湾』として承認されること」
これが、黄先生の遺言となってしまった。一生を台湾のために捧げた黄先生の人生を無
にしないためにも、私たちは、その遺志を引き継いでいかなければならない。
さようなら、黄先生。長い間、有難うございました。あなたは神様が台湾に下さった宝
物でした。