馬氏訪中で再浮上した「中国」観の分断  田中 靖人(産経新聞編集委員)

 台湾の馬英九・前総統はなぜ中国を訪問したのだろうか。よく分からない。来年1月の総統選挙を中国国民党に有利な状況を導こうとしたのかと言えば、中国国民党内部からの評判はあまり芳しくないようだ。

 先祖のお墓詣りや青年交流が名目だったが、「南京大虐殺記念館」などの抗日施設を視察した際には「われわれ全ての中国人はこの事件から教訓を得るべき」「当時の日本との戦いほど多くの屈辱と迫害を受けたことはない」などと述べ、中華民族の結束をアピールした。

 中国の新型コロナウイルス対策を絶賛していた世界保健機関のテドロス事務局長でさえ、コロナ起源の解明を求めるも、情報を共有しない中国に不満を漏らしたにもかかわらず、中国の新型コロナウイルス対策を「人類全体に貢献した」と絶賛したのにも驚かされた。

 帰台後の談話では「互いに尊重し、一刻も早い交流と対話の再開が、台湾の人々の最善の利益になることが今回証明できた」「現在の政権は台湾を危険にさらし続けている」と、自らの訪中を自賛する一方で蔡英文政権を批判した。

 台湾侵攻を企てている中国との対話を再開するのは、ウクライナにロシアとの対話が平和をもたらすと説くようなものではないのか、台湾を危険にさらし続けているのは蔡英文政権ではなく中国ではないのかとの反発を招きかねない談話であり、訪中だった。

 この馬氏の訪中に台湾の世論は否定的だった。台湾民主基金会が4月13日に発表した世論調査では、肯定的な39.2%を上回る43.7%が否定的だった。

 産経新聞の田中靖人・外信部編集委員が馬英九氏の訪中について分析しているので、ご参考に供したい。

—————————————————————————————–馬氏訪中で再浮上した「中国」観の分断【産経新聞:2023年4月16日】https://www.sankei.com/article/20230416-5IT3V27O7FKC5G5FZ3BUNH7QNM/?952304

 初の中国訪問を果たした台湾の馬英九前総統が、所属する野党、中国国民党から距離を置かれている。自らを「中国人」と位置付けるなど現在の台湾で少数派の言動を繰り返したためで、党執行部は世論の対中警戒感から、総統選への影響を懸念しているもようだ。中国側は馬氏を歓待することで、「一つの中国」を掲げる国民党を側面支援する狙いがあったが、「中国」観の分断も浮き彫りになった。

◆「中国人」を強調

「われわれ全ての中国人はこの件から教訓を学ぶべきだ」

 3月29日、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪れた馬氏は、記者団にこう語った。馬氏は前日にも「両岸(中台)の人民は同じ中華民族に属している」と述べ、自らを「中国人」だと強調した。また、30日に湖北省武漢を訪れた際には、中国の新型コロナウイルス対策を「人類全体に貢献した」と絶賛した。

 馬氏の訪中は1949年の中台分断以降に台湾の総統を経験した人物としては初めて。中華圏で先祖の供養をする清明節(今年は4月5日)に合わせて、先祖の出身地である湖南省を訪れる名目だが、12日間の日程は与党、民主進歩党の蔡英文総統の外遊とほぼ重なっており、蔡氏の訪米の注目度を下げるために馬氏を招待した中国側の思惑がうかがえる。

 中国側は3月にも国民党の夏立言副主席を北京に招き、共産党序列4位の王滬寧(おう・こねい)氏が会談したばかり。中国共産党は「一つの中国」と「『台湾独立』反対」で一致する国民党に再接近し、来年1月の総統選で、「台湾独立」派とみなす民進党の勝利を阻止したい構えだ。

◆国民党執行部と距離

 ただ、馬氏の「中国人」発言は台湾世論の実態と大きく乖離(かいり)している。自分は「中国人」か「台湾人」かの認識を問う政治大学の世論調査で昨年、「台湾人」と答えた割合は60.8%で、「両方」(32.9 %)を合わせると9割を超えた。自らを純粋に「中国人」だと答えたのは2.7%と過去最低を更新した。中国の新型コロナ対策を絶賛した発言も、いまだに「武漢肺炎」と表記するメディアがある台湾社会の実感とはかけ離れている。

 国民党の執行部は馬氏の言動を表立って批判できないものの、動き始めた総統選と立法委員(国会議員に相当)選を前に、快く思っていない節がある。朱立倫主席は3月29日の党会合で、馬氏の訪中が「順調であることを祈る」と述べたほかはほぼ言及せず、馬氏が4月7日に中国から戻った際も空港での出迎えに顔を出さなかった。馬氏の元側近の金溥聡(きん・ふそう)氏は「選挙にマイナスの影響がある」として、国民党内部は「態度を保留している」と解説した。

◆「一つの中国」で溝

 馬氏の訪中で、再浮上したのが「一つの中国」を巡る立場の違いだ。馬氏は湖南大での座談会で「わが国は憲法を修正し、2つの地域を定めた。台湾地区と大陸地区で、いずれも中華民国であり中国だ」と発言。台湾に戻った7日の談話では、訪中の成果は「1992年コンセンサス(合意)が復活したことだ」と強調した。

 92年合意は、中台の窓口機関同士の折衝で一致したとされる暗黙の合意で、中国側は「台湾は中国の一部」などとする「一つの中国」原則を台湾側が受け入れたと解釈。一方、当時与党だった国民党は「一つの中国」の「中国」が何を指すかは中台それぞれが解釈することで合意したと説明している。民進党は「一つの中国」自体を受け入れず、92年合意も「存在しない」としている。

 中国側は1949年の中華人民共和国建国で台湾が公称する「中華民国」は消滅したとの立場で、この点は国民党と異なる。このため、馬氏の訪中では2015年の中台首脳会談と同様、相互に国家を表す用語は避け、肩書を付けず「さん」付けで呼ぶことになっていた。馬氏自身、共産党高官との会談では「習近平さん」と発言した。

 馬氏の同行者が台湾紙、聯合報に語ったところによると、湖南大での発言は「原稿にない演出」で、「中華民国」に触れないという中国側との合意を国民党の支持者向けに破ったとみられる。事前に報道されていた馬氏と王氏との会談は行われなかった。

 蔡氏は「一つの中国」を巡る馬氏の発言について、「われわれはすでに2023年にいる。彼の論述は1970年代のものだ」とした上で、「両岸(中台)が相互に隷属しないのは明確な事実だ」と述べた。

(田中靖人)

──────────────────────────────────────※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


投稿日

カテゴリー:

投稿者: