市出身の関口長太郎(せきぐち・ちょうたろう)命の慰霊顕彰祭(祭主は山口周行・日台
友愛さくらの会会長)と講演会が地元の西尾市で開かれました。
主催した愛知の教育を考える会の杉田謙一(すぎた・けんいち)氏から、無事、盛会裡
に終了したとのご連絡をいただきましたので下記にご紹介します。
ちなみに、芝山巌事件は今から117年前の明治29(1896)年1月1日に起こり、台湾の芝山
巌公園には今も六士(氏)先生のお墓があり、台湾の人々に守っていただいています。今
夏、本会青年部もお墓を守る士林小学同窓会会長の林政毓(りん・せいいく)先生のご案
内で参拝しています。
しかし、現在、ご遺族は別として、六士(氏)先生の慰霊顕彰が続けられているのは、
この関口長太郎命のみのようです。
なお、杉田氏からお送りいただいた慰霊顕彰祭に奏上された懇篤な祝詞(のりと)の振
り仮名は杉田氏が付けたものですが、読みやすさを考慮し改行していることをお断りします。
関口先生慰霊顕彰祭・講演会、無事実施
愛知の教育を考える会 杉田 謙一
無事、芝山巌精神、六氏先生関口長太郎先生慰霊顕彰祭・講演会を終えました。有難う
ございました。30名のご参加です。
国会議員は地元の維新、重徳和彦先生のご参加。青山周平先生は祝電。地元市議も参加
くださいました。地元新聞にも取り上げられました。
以下、当日、神主先生が奏上してくださいました祝詞であります。
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鶴城(つるしろ)と名付けられし 、美(うるわ)しき 城跡に建設(たてま)けられし、
西尾小学校の築山に 天立たす石碑(いしぶみ)の大前に、祭の庭を設(ま)けて、招
(お)ぎ奉り、坐(ま)せ奉る、関口長太郎大人(うし)命(みこと)の御前(みまえ)
に(吉野由美)、慎み敬(いやま)ひ 、恐(かしこ)み恐みも白(もう)さく。
永きに亘る武士(もののふ)の政治(まつりごと)を改め、御親政の御世を開かせ給ひ、
大日本帝国となりし明治の御世、未だ修理固成(つくりかため)ならざる内、外国(とつ
くに)の邪(よこしま)なる醜(しこ)の嵐吹き荒び、ゆくりなくも日清の御戦(みいく
さ)と成れり。我が皇軍良く戦ひ、終に下関にて平和(おだひ)の誓ひを結ぶに至れり。
これによりて、台澎諸島我が版図に帰す。
これを受けて、総督府台湾の民を教育せんと、有為の士を求めたるも、炎熱たる彼の地、
未だ目覚めざる荒ぶる者共跋扈し、声挙ぐる者無し。秋(とき)に、明治の大帝(おほみ
かど)の詔(みことのり)「今ひとつ国にならむ 彼の地に、良き民多(さわ)に生み成す
は、神の命ずるところなり」を拝し奉り、恩師伊沢修二先生率ひる六氏先生、危険(あや
ふき)を侵して教員(おしへのおや)に任(ま)けられ給ふ。
明くる明治二十九年(はたとせあまりここのとせ)、新玉の年の寿ぎせむとて、総督府に
参る道すがら、血に左迷へる大勢の狂徒(たわぶれめ)、攻め寄せ来たり。諭しの業(わ
ざ)も甲斐無く、奮闘の果て、六氏先生悉く身失せ給ひけり。「一視同仁」「たおれて
後、己む」「身を殺して仁を成す」を、そのままに、明き清き真(まこと)心の学舎(ま
なびや)での教への業、途の始まりにて閉ざされし無念や如何にと、胸裂くるばかりなり。
されど後の世に、彼の地にて、「芝山厳精神」「リップチュンシン(日本精神)」と称へ
られし、美わしき精神(こころね)は、汝(いまし)命(みこと)等の御勲(みいさお
し)の著(しる)くも顕(あら)はれし証にして、あはれ喜ばしく、心嬉しき事なり。
さる程に、先の大東亜御戦、御国開けてこの方、長き歴史(ふみ)にも例(ためし)無き
由々しき状に終わりぬるぞ、只只憂たき事限り無し。
これによりて、台湾の人々とも、心ならずも国分かちける。彼の地の芝山厳の学舎・神社
(かむやしろ)・石碑・奥都城(おくつき)、悉く取り潰されしなり。戦い終わりしより
六十八年(むそとせあまりやとせ)、人の心驕り、荒み、危ふく、軽々しく、ただ物質
(もの)を尊び、精神(こころ)軽みて、正しき道は廃れ、美はしき習ひ顧みられず。心
ある人々皆、御国の行く末を思ひ計りて、転(うた)て嘆きてあり。
今、大人の恵を慕ひみ、功(いさおし)を仰ぐ事いよいよ深く、いよいよ高し。
大人の生まれ給ひし神無月十一日(とおかあまりひとひ)に程近き、今日九日、日台友愛
さくらの会 山口周行会長を祭主(まつりぬし)として、志厚き人々、み縁深き人々、相議
(はか)り、相語らひて、御前も狭(せ)に参列(まひつらな)み、御饌(みけ)御酒
(みき)を始めて、海山野の種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を机代(つくえし
ろ)に置き足らはし捧げ奉りて、玉緒(たまのを)の御霊鎮(みたましず)めの神事(か
むごと)仕(つか)へ奉りて、高き御蔭(みかげ)を仰ぎ、深き御恵を偲び、八十(や
そ)玉串の取々に拝(おろが)み奉る様を、平らけく安らけく、宇豆(うづ)なひ聞こし
召して、今も行く先も、愛(め)ぐしき学徒(まなびご)らを始めて、日出(ひいづ)る
大和の国体(くにがら)、及び、彼の台湾の国民(くにたみ)達をも、恵みの幸霊(さき
みたま)配(きま)り給ひて、各(おの)も各も、大人の御心を忘るる事無く、失くす事
無く、承継(うけつぎ)持ちて、いや遠永に 御大国の立て直しの大き厳しき業に勤しみ仕
へ奉らしめむと、顕然(あらたか)に神諭し、神諭(おし)へ、神導き給へと、仰ぎ乞祈
(こひの)み、辞(こと)竟(を)へ拝(おろが)み奉らくと恐み恐みも白す。