くなられた。西村議員がその日のうちに手記を発表されたことに強い衝撃をうけた。だ
が、夕刻からご長男のお通夜が行われた11日午後1時、衆議院本会議で行われたテロ特措
法案の採決に臨んだことにさらに強い衝撃を受け、深く心を揺さぶられた。
まさに国会議員、いや国士としてのふるまいを見せていただいた。採決直前に本会議
をすっぽかして選挙応援に行った某政党の代表とは、国会議員としての覚悟に天地雲泥
の差がある。人は土壇場にならないと本性は分からない。
西村議員は国会に臨んだ心境を、昨日発行した自らのメルマガ「西村真悟の時事通
信」(No.326)でつづられている。西村議員が日本李登輝友の会の設立以来の会員であ
ることを誇りに思う。
ご長男のご冥福を心からお祈りするとともに、ここに手記掲載の報道とともにご紹介
したい。 (編集部)
■西村真悟の時事通信
http://www.emaga.com/info/shingo.html
ありがとうございます
西 村 眞 悟
息子の西村林太郎は、十一日の通夜、十二日の告別式を経て、皆さまとお別れしてい
きました。
そして、今は永遠の安らぎのもとにいます。
氷雨の中の通夜そして告別式にご参列下さいました皆さま、ご弔意をいただいた皆さ
ま、お祈り頂いた皆さま、心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。
九日から今までの間に、今まで気付かなかった事実を知り愕然としています。それは、
何と多くの若者が林太郎のように亡くなっているのだろうということです。
葬儀の時、「私の子も、二十六歳で亡くなりました」と涙を流された方がおられまし
た。また、林太郎の死と自分の息子の死が同じなので体が震えて葬儀に出席できないと
の伝言を託してくれた方がありました。この方の息子さんが亡くなったことは知ってい
ましたが、まさか林太郎と同じ亡くなり方だとは思いませんでした。
さらに、十日の午前一時十七分にファックスを頂きました。お名前を書かれていない
ので、この場で公表させて頂くことのご了承をえることができませんが、次のようなフ
ァックスでした。
「長男さん、林太郎さんのご冥福を心からお祈りいたします。
私も昨年の夏の明日10日というか今夜早朝、一人っ子の長男26歳がうつ病の末、飛び
降りて自死しました。
心の整理もついていないときとは思いますが、何故世間では自殺と表現するのでしょ
うか。本人は殺していません。自らの判断で一生に区切りをつけたのと思います。
ありがとう、今まで頑張った息子に感謝しています。私は自殺と表現されるのに抵抗
があります。
ぜひ、以前にテレビで拝見していた様に、世間で自殺と表現しない様に言っていただ
けませんか。申し訳ありません、時間がたっていないときに、でも、今夜息子のことを
思い出している時のニュースで知り書かずにはいれませんでした。
再度、林太郎さんのご冥福を祈ります。
自死遺族会リメンバー福岡の会員です。」
このファックスが東京の私の事務所に到着した十日の午前一時十七分は、この方が言
われる「明日10日、というか今夜早朝」という時間ではないか、と思われます。この時
私は、林太郎を連れて東名高速の豊橋付近を走行していました。
十一日にこのファックスを拝読しましたが、全く私も同じ思いです。よくぞ、ファッ
クスをしてくださいました。お礼申し上げます。そして、一人っ子のご長男のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。
うつ病のなかでの死、これは病死です。
自殺ではありません。病死なのです。
九日の午後、林太郎の希望をかなえるための角膜と心臓弁提供の手術中つまり林太郎
の貴重な仕事中に、私は林太郎の通夜と葬儀の日程を決めました。
息子は父に何を望んでいるだろうかと林太郎にたずねたのです。すると、おやじ公務
を疎かにしたらあかん、と林太郎が告げているように思いました。
そして、秘書に電話し、テロ特措法案の衆議院本会議上程日を確認させました。暫く
して、十一日午後一時の本会議開催でほぼ確定との返事が来ました。
これで、十日早朝に帰宅した林太郎は、十日の夜は家でゆっくりと過ごし、十一日に
は通夜の場であるカトリック堺教会に移ることが出来るという素晴らしい日程が決まっ
たのです。
私は無所属です。何処の政党の指示も受けない立場です。
つまり、忠誠を尽くすのは、国家ネイションであって何処かの政党の親分ではありま
せん。従って、私の決定は政党の指示を受ける議員より重いのだと自負しています。
十一日の衆議院本会議場で私の名前を呼ばれた時、法案への賛成を示す白票を持っ
て、「林太郎、行くぞ」と言って壇に登りました。そして、直ちに堺へ向かい午後五時
前に新大阪駅に着いたのです。
国家のために、この法案が成立してよかったのです。
おやじには言わなくとも、林太郎は時々私のこの時事通信をみていました。従って、
林太郎も私がこの法案に賛成票を投じる機会を確保してくれたと思っています。
昨年秋の十月二十六日に、私は次のような感想をメモ用紙に書き込みました。この度
の本会議に臨んで、自分の書き込んだことが今の状況にぴったりだと改めて思った次第
です。
「かつての社会党は、反対の為に政治闘争をした。
今の民主党は、政治闘争のために反対をする。
いずれがタチが悪いか。」
(了)
死亡長男は「強いうつ状態だった」 西村議員が手記
【1月9日 MSN産経ニュース】
西村真悟衆院議員(無所属)は9日午後、長男の林太郎さん(26)が東京都港区の
衆院赤坂議員宿舎から転落死したことについて自筆のコメントを発表、林太郎さんが医
師に強いうつ状態と診断されていたことを明らかにした。
コメントによると、林太郎さんは昨年末からうつ状態となり、慶応大病院精神科で今
月8日、強いうつ状態と診断された。9日朝も病院に行く予定だった。
西村議員は9日午前、林太郎さんがいなくなったと妻から告げられ外出先から宿舎に
戻った。ベランダから身を乗り出して下を見ると、林太郎さんが横たわっていたという。
西村議員はコメントで「なぜ、林太郎の転落を止められなかったのかと深く自責の念
にかられながら、今、林太郎はうつの苦しみから解放され、神に召されたのだと慰め合
っています」としている。
■西村議員が公表した手記の全文は次の通り(原文のまま)
本日 私の長男林太郎(26才)は衆議院赤坂宿舎20階の私の室のベランダから転落し、
12時07分に死亡が確認されました。
林太郎は今年より出版社に勤務しておりましたが、昨年末より、ウツ状態に陥り、昨
日8日午後4時より、慶応病院精神科で受診し、強いウツ状態と医師より伝えられまし
た。
私ども親も本人も入院するつもりで医師も入院が望ましいとの意見でした。
しかし、医師が問い合わせると病院に入院ベッドの空きがなく宿舎に引き上げ楽しく
食事をして就寝した次第です。
本日朝、私は林太郎によく寝たかと声をかけ、午前9時30分に外出しました。
そして、午前10時27分に林太郎を慶応病院に連れていくために妻の携帯に電話した直
前に本人が室からいなくなっている旨、訴えたので、驚いて、宿舎に戻り、自室ベラン
ダから身を乗り出して下を見て横たわる林太郎の姿を認め、119番通報した次第です。
自室には妻と妹と林太郎がいました。妻が歯をみがくため30秒ほど目を離した間に、
こつ然と林太郎の姿が室から消えていたという状態でした。
救急隊の必死の救命活動そして慶応病院の救命活動の後に、12時07分死亡が確認され
て後私どもは、この突然の悲しみの中でなぜ、林太郎の転落を止められなかったのかと
深く自責の念にかられながら今、林太郎は、ウツの苦しみから解放され、神に召された
のだと慰め合っています。
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