少し前のことだが、9月4日の産経新聞に「蒋介石氏の恩情を忘れない」と題する投書が載っていた。「終戦直後、蒋氏は国内外へ向けたラジオ演説で以徳報怨(徳をもって怨みに報いる)と話し、日本に寛大な処置をとった」と書いている。
いまだに多くの日本人がこのことをもって蒋介石を高く評価しているが、蒋介石は共産党との戦争に備えて日本軍の武器がほしかったのであり、一刻も早く武器を置いて日本に帰ってもらいたかったのだ。
ソ連のように満洲の日本人を殺しまくり、日本兵をシベリアに連行して強制労働させるようなことが大犯罪なのであり、蒋介石が日本兵に何もしなかったのは当たり前だ。
蒋介石にそんな慈悲の心がないことは、国共内戦や台湾に渡ってからの残虐性を見れば明らかだ。ユン・チアンとジョン・ハリディ共著『マオ 誰も知らなかった毛沢東』にも詳しく書かれている。毛沢東の残虐性もひどく、中国人はよくもこんな残虐なことができるものだと驚くことばかり書かれている。日本が戦争に負けて台湾から引き揚げた後、毛沢東の共産党との戦争に敗れた蒋介石の国民党が逃げてきて台湾を支配し、徹底的に台湾人を弾圧した。
1947年に起きた二二八事件では数万人の台湾人が殺され、その後も長く続いた弾圧で多くの台湾人が収容所に入れられ過酷な仕打ちを受けた。
台湾語も日本語も禁止されて北京語が強要され、徹底した反日教育と反共産党教育が行われた。
従って、この時代に教育を受けた台湾人の日本に対する感情は複雑だ。
蒋介石は台湾中に自分の銅像を建て、個人崇拝を強要した。完全な独裁者で、慈悲の心などまったく感じられない。私は父親を殺された方や弟を銃殺された方など、親しくしていただいた日本語世代の台湾の方々から詳しく話を伺っている。蒋介石に対する台湾人の恨みは並大抵のものではない。
蒋介石が死んだ後に息子の蒋経国が総統になり、国民党の中国人による一党独裁政治が続いたが、1988年に蒋経国が病気で急逝し、副総統だった台湾人の李登輝氏が総統になった。
蒋介石の妻の宋美齢は、台湾人が総統になるなんて絶対に認めないと猛反対したが、李登輝氏は台湾人の支持を受けながら台湾を選挙で政治家を選ぶ民主的な国とし、やっと独裁政治を終わらせた。
公の場で台湾語も日本語も話せるようになり、学校では日本時代に台湾が発展した歴史も教えられ、今の台湾の若者や子供たちはみんな日本が大好きだ。日本人が蒋介石に感謝する必要などない。日本人が感謝すべきは李登輝元総統だ。