樹会長へのインタビューを掲載しています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007092602051644.html
100回を迎えたときに、台湾研究フォーラムを創設した者として、8月4日発行の本誌第
581号でその来歴を掲載しましたのでご参考に再掲し、東京新聞の記事もご紹介します。
台湾研究フォーラムの次回は10月6日、講師は日本文化チャンネル桜のキャスターとし
ても活躍し、最近、栃木市の首席政策監に就任したばかりの濱口和久氏。記事にもあり
ますように、若い世代の参加を歓迎します。
(本誌編集長・台湾研究フォーラム顧問 柚原正敬)
若い世代の交流拡大を 月例講演会100回超えた『台湾研究フォーラム』
【9月26日 東京新聞】
日本にとっての台湾の重要性を訴え続けている民間団体「台湾研究フォーラム」(本
部・東京)の月例講演会が100回を超えた。中国が急成長する中で「台中は別の国」
(陳水扁総統)との「本土(台湾)意識」が着実に高まる台湾。日本人の台湾への見方
はどう変化しているのか。同フォーラムの永山英樹会長(45)に100回の変遷と参
加者の意識変化について聞いた。 (外報部・佐々木理臣、写真も)
──フォーラムは過去百回(八年余)で、どう変わったか。
「当初、二十人前後しか集まらなかった月例会の参加者は現在、平均約五十人に。台
湾について漠然とした知識しかなかった参加者も台湾社会や台中、日台関係の現状を正
確に理解するようになった。年三回ほど、台湾の国連加盟問題や李登輝前総統訪日問題
など時宜に即した特別集会を開き支援デモなども展開。折に触れ台湾への現地研修を実
施してきたのも台湾理解を助けていると思う」
──フォーラムの雰囲気は日台関係から影響を受けるか。
「日、台、中は密接に連動している。例えば中国の急激な軍拡やミサイルによる衛星
破壊実験などで対日、対台圧力が強まっているときには講演会参加者の関心も一気に高
まる。だから台中の違いを訴えるテーマほど、フォーラムは盛況を呼ぶ傾向にある」
──電子メールで論評を発表しているが。
「二〇〇一年に李登輝前総統の訪日を実現させる運動を通じて交流を深めた『在日台
湾同郷会』(林建良会長=当時)と『日本李登輝友の会』を結成してから運動が全国規
模に発展した。友の会は現在、北海道から熊本までの十六支部などに千四百人の会員が
いる。林氏のメールマガジン『台湾の声』で集会日程や時事論評を流し、主張をアピー
ルしている」
──日本人としてなぜそこまで台湾に強い関心を持つのか。
「台湾人の温和さや風土のすばらしさに魅せられ、深く研究しようとの思いがあるか
らだ。台湾が国際社会で孤立している現実を変え、日台の安全保障が密接にかかわって
いるという認識を深めることを目指している。マスメディアが報道しにくい、こうした
事柄を手作りで一人でも多くの人と進めていきたい」
──今後の課題は。
「台湾と中国が同じ国と思っている日本人がまだまだいる。台湾でも日本語世代が高
齢化し、言葉の面で日台交流の壁が厚くなっている。講演会参加者の約40%が三十−
四十代。五十代以上が半分近くを占め二十代は10%前後だ。若い世代に台湾語を学ん
でもらう一方、二十代を30%以上に増やしたい。全国に散在している日台関係団体と
連携を強めるのも課題だと考えている」
<メモ>台湾研究フォーラム 1995年、在京出版社の編集者、高校教師ら6人が台
湾理解を深める目的で創立。98年から台湾に興味を持つ一般の人々を対象に、都内で
月例講演会や課題別の集会を開いてきた。会員約100人。連絡は永山英樹さん(電0
90・4138・6397)まで。
台湾研究フォーラム顧問 柚原正敬
明日行われる台湾研究フォーラムの定例会が100回を迎える。この会の設立を提唱した
者としていささか感慨深いものがある。
台湾研究フォーラムの設立は平成7年(1995年)1月にさかのぼる。当時、出版社に勤
務していた小生が名越二荒之助先生より『台湾と日本・交流秘話』の原稿を預かったこ
とに発している。20名ほどの執筆者のうち、若手執筆者を集めてさらに台湾について研
究しようということで設立した。
当初は「台湾研究会」と称していた。言い出しっぺの小生が代表となり、同じ出版社
にいて、何度も訪台していた永山英樹氏が事務局長に、執筆者の佐藤健二氏が副代表に
就いた。メンバーは「台湾が好きであること。自国に誇りを持っていること」を条件と
した。
第1回の研究会は、翌平成8年(1996年)3月に『台湾と日本・交流秘話』を出版した後
の5月30日に開催している。集まったメンバーは柚原、永山、佐藤、高柳陽一、佐藤雅彦、
川添恵子、山田智美の7人だった。
しかし、そのとき、小生も佐藤健二氏も台湾について執筆しながら、一度も台湾に行
ったことがなかった。確か高柳氏も行っていなかったはずだ。あとは皆、台湾に何度も
行っていた。
そこで、その年8月、訪台の機会があったので、小生も佐藤健二氏も初めて台湾へ行っ
た。台湾を一周してきたので、9月20日に開いた第2回目の研究会において2人でその報告
をした。3回目は11月5日に行い、日台鉄路愛好会の佐藤雅彦氏が得意の分野を生かして
「台湾的火車」と題して発表し、この時から正式に「台湾研究フォーラム」と名乗った。
3回目を開いた時でさえ、メンバーは11人だった。今は「台湾週報」となっている当
時の「中華週報」(11月28日発行、第1790号)に「台湾へのかけ橋」というコーナーが
あり、「会員数は11名と小規模ながら専門性の高い密度の濃い活動を続けているのが、
今回ご紹介する『台湾研究フォーラム』です」と紹介されたこともある。
当時の研究会は隔月で開いていたが、1年間の休止期間を経て、1ヵ月に1回、第1土曜
日に開くようになったのは再開した平成11年(1999年)3月からだ。井上和彦氏と山田智
美さんが発表者だった。それからは毎月開くようになったが、それでもその時の参加者
は17名ほどだった。
当時の運営委員は、柚原、佐藤健二、永山、浅田弘美、佐藤雅彦、森美根子、梶山憲
一、山田智美、木内貴子、井上和彦、蔡易達、林育杰、江旭本の13人だ。
参加者が増え始めたのは翌平成11年の後半からで、黄文雄先生が毎回参加するように
なって常に30名を越すようになり、飛躍的に増えたのは平成13年(2001年)4月、周英明
先生を講師に迎えたときである。この時は63人も参加し、その後、9月の伊藤潔先生の時
は82人、12月の宗像隆幸先生の時は60人、翌年1月の連根藤先生の時は68人、4月の黄文
雄先生の時は75人、8月の林建良氏の時は82人となっている。
それ以来、常に50人前後が参加するようになり、現在に至っている。
当時、会場をご提供いただいた東京語文学院校長の林銀先生はじめ、いろいろな方に
お世話になりつつ、台湾研究フォーラムは確実に浸透していった。お世話になった方々
にこの場を借りて御礼申し上げたい。
台湾研究フォーラムが日台交流に果たしてきた役割は決して小さくないと自負もし
ている。台湾研究フォーラムあったればこその日本李登輝友の会でもある。
明日、宗像隆幸先生を講師に迎えて第100回が開かれる。林建良氏や佐藤健二氏はじめ
歴代の運営委員も参加するという。いささか長い案内になってしまったが、お時間の許
す方はぜひご参加いただきたい。
台湾ビールや台湾のおつまみも用意しているそうだ。大いに英気を養いたい。
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