“母国は日本 祖国は台湾”─呉正男・理事に日本テレビがインタビュー

 この8月4日に満95歳の誕生日を迎えた本会理事でもある呉正男(ご・まさお)氏は、旧制嘉義中学の受験を2回失敗し、日本の敗戦でソ連に抑留され、5年遅れて高校に復学するなど、けっして平坦ではない青春時代を送りました。

 2019年7月の台湾セミナーでは、これまでの人生について「その全てが幸運に恵まれた結果をもたらした」と振り返り、「特にソ連抑留は最大の幸運で、終戦直後は台湾にいなかったので2・28事件に遭わなかった」と、禍福はあざなえる縄の如しを思い出させるような感懐を述べられていました。

 いまも矍鑠(かくしゃく)として台湾関係のイベントなどに参加し、酒量はかなり少なくなりましたがビールなどを飲まれています。ソ連に抑留された台湾出身者という数奇な人生は新聞やテレビなどから注目され、よくインタビューなどを受けています。

 このたびも日本テレビの取材を受け、ソ連抑留体験などを語る映像が8月12日にアップされました。ただ、4分半ほどですのでほんのサワリ程度ですが、お元気な姿を拝見することができます。

◆“母国は日本 祖国は台湾”日本兵として戦地へ行った台湾人男性の過酷な体験とは…  【日テレNEWS:2022年8月12日 4分31秒】 https://news.ntv.co.jp/category/society/4228c2d3135a47ae965356b3688cfd8c

 この映像では物足りないという方は、やはり呉正男さんなどを取り上げた酒井充子監督のドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」をご覧ください。

◆『台湾アイデンティティー』お申し込み https://mailform.mface.jp/frms/ritoukijapan/0uhrwefal5za

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呉 正男(ご・まさお)1926年(昭和2年)8月4日、台湾・斗六生まれ。斗六尋常小学校を経て、1941年、13歳のとき日本の中学校へ留学。1944年4月、16歳で陸軍特別幹部候補生を志願し水戸航空通信学校に入隊、通信士の訓練を受ける。同年12月、滑空飛行第一戦隊に配属。1945年5月、大型グライダー(滑空機)を曳航する九七式重爆撃機の機上通信士として従軍中、朝鮮北部の宣徳飛行場にて終戦。ソ連・カザフスタンで抑留後、1947年7月に復員。攻玉社高校、渋谷高校夜間部を経て法政大学に入学。1954年3月に卒業後、信用組合横浜華銀に入社し、2度辞職してとんかつ屋やたばこ卸業、薬屋を自営するも復職し、専務理事(18年)、理事長(6年)を経て72歳で退職。「NHKのど自慢大会の台湾開催をお願いする日台の会」会長をつとめ、2011年10月に台湾開催を実現。2013年7月公開の日本語世代を活写した酒井充子監督のドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」に出演。日本李登輝友の会理事、横浜台湾同郷会最高顧問、前伊勢山皇大神宮総代。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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