歿者慰霊祭が行われた。平成17(2005)年以来、今年で10回目となる。同23(2011)年からは「永
代神楽祭(えいたいかぐらさい)」を奉納することとなり、以降、毎年11月23日に執り行ってい
る。
午後2時、同校友会関係者25人を含む60人ほどの参列者は参集殿2階の控室からご本殿に案内され
る。ご本殿は、ご神前以外に扉も仕切りもない風が吹き抜ける畳の間。すでにヒーターが入ってい
て足元が暖かい。参列者は正座ではなく、用意された7、8人掛けの床机に座る。
ご神前の右横に大きな鏡が置いてあり、その上の高いところに、明治天皇の御製「我國の為をつ
くせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の扁額が掲げられている。
慰霊祭は、まず仕女(しじょ)の方が神酒や野菜、果物、魚など海の幸、山の幸(神饌)をご神
前にお供えする「献饌の儀」から始まった。
それが終わると、祭主の神官が祝詞を奏する。祝詞の中で、この日の永代神楽祭で慰霊されるご
祭神のお名前が次々と読み上げられる。
20分ほどの祝詞奏上が終わると、次がいよいよ神楽舞だ。お二人の仕女が「みたま慰めの二人
舞」を奉奏される。笙(しょう)、横笛、太鼓、琴による雅びな曲が奏でられる。靖國神社によれ
ば、これは、香淳皇后が戦歿者に賜った御歌(みうた)「やすらかに ねむれとぞおもふ 君のた
め いのちさゝげし ますらをのとも」に曲をつけ振付したという。
生の雅楽を聞く機会はめったにないし、神楽舞を見る機会もない。参列者席からは咳払い一つ聞
こえない。一心に神楽舞を見つめ、耳を澄ましている。これならご祭神も慰められるだろうという
思いがしきりに湧いてくる不思議な曲と舞だ。
5分ほどの神楽舞が終わると、参列した戦歿者ゆかりの家族や団体の代表による玉串拝礼だ。李
登輝学校日本校友会からは、慰霊祭の直前に開かれた理事会で新理事長に就任した渡邉丈夫(わた
なべ・じょうぶ)氏が玉串を奉り拝礼する。私どもも渡邉理事長に合わせて拝礼、神霊安かれと心
から祈った。
玉串拝礼が済むと神饌を撤し、仕女の方の拝礼に合わせ参列者一同で拝礼する。これで本殿での
儀式は終わる。その後、本殿を下がってお神酒をいただき、本殿に向って杯を捧げる直会の儀が行
われ、これで永代神楽祭は滞りなく終わった。45分ほどの儀式だった。
心の奥底まで清められた思いがする、本当に清々しい永代神楽祭だった。来年も次の年もその次
の年も、「台湾出身戦歿者慰霊祭」は靖國神社が存続する限り、永代にわたり11月23日に斎行され
る。
◇ ◇ ◇
慰霊祭の後に行われた「台湾人と?國神社」と題した講演会で、講師の林建良氏(メルマガ台湾
の声編集長、日本李登輝友の会常務理事)は、昨年3月に行われたWBC(ワールドベースボール
クラッシック)の日台の試合で台湾人選手が見せた円陣を組んでの一礼を例に、この潔い精神は日
本と台湾に共通する精神で、それが日本が台湾に残した美学だと指摘。
また、ひまわり学生運動で立法院の議場を占拠した学生たちを前に映画「KANO」が上映さ
れ、学生たちが涙を流して見ていたことを紹介し、台湾の若者たちは台湾の歴史が日本の歴史に組
み込まれていることを嬉しく思っていると述べ、プロデューサーの魏徳聖氏は真実の歴史を伝えよ
うとし、それに若者たちが感動したと述べた。