今を遡ること70年、時は昭和18年、日本政府は米軍のB29に対抗すべく、雷電戦闘機の
生産のために高座海軍工廠を建設し、台湾からも工員を募集した。これがいわゆる台湾少
年工で、今日ここに(5月9日、台湾高座会留日70周年大会)集まった83歳から90歳までの
爺なのだ。70年前は総計8400余人いたが、自然現象で今はかなり少なくなっている。
最初は朝鮮人と一緒かと思っていたが、本土のすぐ側にある朝鮮よりも高く評価されて
いると自讃して嬉しく思った。
一同喜び勇んで本土に渡ったが、慣れない冬の寒さと極度に悪い食糧事情に泣かされた
が、2年もしくは3年の辛酸を乗り越えて任務を全うした。この時、耐え忍ぶことの尊さを
身につけたのである。
終戦後、我々は日本の国籍を失ってやるせない気持ちで台湾へ帰ったが、大陸で共産軍
に負けた蒋介石軍や大勢の支那人が台湾を占領して大騒ぎだった。第一に言動が相容れ
ず、日一日とギャップが深まり、遂に二二八事件を惹き起こし、数万の台湾のエリートが
消された。この恨みは未だ消えず、いつまでも残るだろう。
二二八事件の後、蒋介石は大陸を失った腹いせに、台湾で世界に例のない38年間の戒厳
令を発令して台湾人の一切の自由を奪い、白色テロと言われた政治を行い、今日尚もこの
悲しみを背負っている人が泣き寝入りしている。
幸いにして蒋介石の死後、台湾人の李登輝さんが総統になってから、自由民主の現代国
家になり国民は初めて人間らしくなった。おかげで高座会を結成することが出来、日本と
の交流が自由になり、50周年、60周年、そしてこの度の70周年も全て李登輝総統のお蔭と
言える。
高座海軍工廠はとっくの昔に跡形もなくなってしまったが、不思議なことに、昔ここで
一緒に働いていた人たちの心に、ある種名状し難い何等の力が今も尚、強い絆で結ばれて
いる。
つらつら考えてみると、善徳寺にある「台湾少年工慰霊碑」がこの力の素ではないかと
思う。涙ぐましい経緯があってこの碑を建てた故海軍技手、早川金次氏の親心が求心力に
なって今日の日台交流の会にまで発展した。
「滅私奉公」と言う言葉は少年時代からよく聞いている。この度の70周年の行事に集中
してきた石川公弘さんの姿が、最もこの言葉に相応しい。多くの喜びを下さった皆様に、
厚く御礼を申し上げたい。
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