土木技術者の本懐(1) 傳田 晴久

【台湾通信(第92回):2015年1月28日】

◆はじめに

 友人から「月刊建設」(14-10〜14-12)誌の記事「土木史(近代化への道6、7、8)緒方英樹
著」(A4版12頁)を頂いた。記事は「土木技術者の本懐とは何か」と題して、日本の台湾統治時代
の土木技術者、土木工事、インフラ整備について紹介されており、初めて知る事柄も多々ありまし
た。

 私の「台湾通信」は当初、日本の友人あてに書き始めましたが、最近では台湾の友人にもご覧い
ただいております。以下ご紹介する記事の多くは、台湾の方々にとりましては既知のものかもしれ
ませんが、きっと新しいものもあろうかと思いますので、お目通し下さい。

◆土木技術者の本懐

 明治政府は近代国家建設のために「お雇い外国人」の指導を受けながら、日本国内の鉄道建設、
都市計画、街づくり、灯台、河川、港湾、上下水道整備、トンネル、水力発電所建設などの公共事
業を急速に進め、西洋が100年かかった近代化を30年足らずで成し遂げました。

 日本は獲得した先進土木技術を次は海外の公共事業にも役立てるべく、青山士(あきら)はパナ
マ運河工事にかかわり、八田與一は台湾の嘉南大圳事業を、久保田豊は東南アジア各国の電力
開発を手掛けた。この3人の土木技術者を東京帝国大学土木工学科で教えた廣井勇教授は「国民の
税金を使う公共事業は、国民の生活と幸福を追求しなければならない」という考え方であったとい
います。

 記事の作者緒方英樹氏は八田與一の嘉南大圳事業の内容を紹介した後、「ハード(土木施設
や構造物)が完成した後、使う人に役立つソフトが必要だと考えた八田は、三年輪作給水法という
灌漑のやり方を取り入れ、農民への指導を水利会に指示した……その結果地域の人々の生活水準、
ライフスタイルが徐々に変化していく。それまで遠くまで水を汲みに行っていた生活から収穫によ
る余裕が生まれ、家族に笑顔が増え、家や身の回りが整い、子供達の教育環境が整い、子々孫々へ
と拡大していく、ここに土木技術者の本懐がうかがえる」と述べています。

◆台湾のインフラその一(縦貫鉄道)

 日清戦争に勝利した日本は下関条約により1895年、台湾統治を始めたが、当時、台湾には清国の
劉銘伝が指揮して敷設した鉄道路線が残っていたが、レールは抜け落ち、一輌しかない機関車は人
が「後押し」しないと動かないほど実用性のない代物であった。明治政府は軍事物資輸送の為に鉄
道建設を急ぎ、逓信省の小山保政鉄道技師を派遣し、実地調査、修復を命じた。第4代総督児玉源
太郎の時代に台湾総督府鉄道部が設立され、初代鉄道部長に民政長官後藤新平が兼務、就任した。
基隆〜高雄間405?の台湾縦貫鉄道建設プロジェクトを指揮する初代技師長に長谷川謹介が任命さ
れた。

 長谷川は台湾の将来を見据えたルートを決定し、基隆〜新竹〜台中〜嘉義〜高雄という4区間を
同時に進めていった。未開の亜熱帯での工事で、マラリア、コレラなどの風土病、気候不順が工事
従事者を疲弊させ、険しい山岳を穿つ複数のトンネル、猛烈な台風による河川の増水、それらに架
ける橋梁工事など困難を極めた。

 そして10年余の歳月をかけて全線は開通した。長谷川謹介は台湾鉄道の父と呼ばれている。彼は
この台湾縦貫鉄道建設に当たり、自分の出身である工技生養成所のエリートのほかに東京帝国大
学、京都帝国大学の出身者、民間の工業学校出身の優秀な技術者を多数日本から呼び寄せていた。

◆台湾のインフラその二(阿里山鉄道)

 長谷川は縦貫鉄道建設の後、阿里山の豊かな森林から木材(台湾紅檜)を搬出するために阿里山
鉄道建設に着目し、縦貫鉄道建設に従事した技術者と共に取り組んだ。長谷川は調査を飯田豊二
(工手学校出身)に任せ、運搬ルートの見通しがついたので、1906年に着工し、1914年に完成させ
た。

 阿里山森林鉄道の測量、建設には、縦貫鉄道建設で技能を認められた進藤熊之助が携わったが、
彼は鉄道の修復工事中に材木運搬車が脱線して重傷を負い、嘉義病院で息を引き取った。有志の寄
付により嘉義公園に殉職記念碑が建てられている。

◆台湾のインフラその三(下淡水渓鉄橋)

 緒方氏の記事には載っていないが、阿里山鉄道建設に携わった飯田豊二を調べる中に、下淡水渓
鉄橋工事を知ったので、ついでに補足、報告しておきます。

 基隆から高雄までの縦貫鉄道は1908年に完成し、軍事物資、人員の輸送に大いに貢献したが、屏
東県で生産される砂糖製品、その他産品の輸送のためには高屏渓(旧稱:下淡水渓)に鉄道橋を架
設する必要があった。

 この河川の水源は玉山で、高雄県、屏東県を流域に持ち、川幅広く、流れも急であり、架橋工事
は困難を極めたと言います。1911年に着工、1913年末に完成したが、工事中に何度も豪雨や増水に
見舞われ、飯田豊二は疲労困憊、ついにマラリアに感染、工事完成の目前に台南病院で死去(1913
年6月10日)されました。

◆台湾のインフラその四(港湾)

 台湾はもともと天然の良港が少なく、1858年天津条約(アロー戦争の結果、清国と露・米・英・
仏間で結ばれた)で開港した安平、1860年北京条約(アロー戦争の結果、清国と英・仏間で結ばれ
た)で淡水、その後基隆、高雄といった港が開かれたものの、いずれも水深が浅く、満潮時でも
1,000トン以下の小舟しか入港できなかった。台湾の開発を進めるうえで、人や物を円滑に運ぶ為
の最初の入口である港の整備は重要ポイントであった。

 台湾縦貫鉄道建設のための資材運搬にとっても、基隆と高雄の港の近代化が必要であり、第4代
総督児玉源太郎は基隆築港局長に後藤新平を兼任させ、川上浩二郎技師(東京帝大土木工学科)を
中心に基隆港の防波堤工事、浚渫工事、岸壁の建設、埠頭倉庫建設、岸壁の起重機建設など6,000
トン級の船舶が停留できる港づくりを推進した。

 基隆港は先の大戦で爆撃され、大きな被害を受けたが、戦後再建、改築、増築が進み、高雄港と
並ぶ台湾の二大国際貿易港として飛躍を続けている。

◆台湾のインフラその五(水道)

 私は現在台南に住んでいますが、この台南の水道浄水場を設計、施工した濱野弥四郎の胸像につ
いて、許文龍氏が語ったというエピソードを台湾通信No.71「蒋介石の銅像撤去」で、「許文龍氏
が胸像を製作されたいきさつは、氏が子供のころ母から濱野弥四郎が設計、施工した浄水場につい
て、日本統治が始まったころの台湾は衛生環境が極めて悪く、伝染病が蔓延っており、当時の平均
寿命は30歳程度であったが、日本のお蔭でみんなが長生きできるようになった、と聞かされ、以来
日本に親近感を抱いていたが、浄水場に以前あった濱野弥四郎氏の胸像がなくなっているので、製
作した」と紹介しました。

 緒方英樹氏は、濱野弥四郎は師事していたバルトン教授と共に渡台して現地調査を行っていた
が、師が伝染病で倒れた後、23年間に淡水、基隆、台北、台中、台南などの主要都市の上下水道を
建設していったと述べ、台南の水道工事には八田與一も濱野の部下として働いていたことを紹介し
ています。

 現在、浄水場に濱野の胸像があるが、その台座には以前濱野の銅像があり、その銅像建立を提案
し、資金を募ったのは台南水道で教えを受け、濱野を心から尊敬していた後輩の八田與一であると
いいます。
                                       
◆おわりに

 「土木技術者の本懐とは何か」を紹介いたしましたが、台湾のインフラ整備に尽力した技術者を
育成した廣井勇教授の考え方、すなわち「国民の税金を使う公共事業は、国民の生活と幸福を追求
しなければならない」は台湾においても見事に花開いたと思います。

 「公共事業」は国民のためのものであって、断じて個人の懐を潤すものであってはならないと思
います。また、しばしば耳にする手抜き工事、台湾では「豆腐渣工程」(オカラ工事)と言います
が、こんなことは言語道断です。

 今回の記事はまた、ハードのみでなくソフトの重要性、すなわち補修整備など維持管理と運用管
理ができなければ、宝の持ち腐れ、否それ以前に折角構築したハードウェアは灰燼に帰すことを
語っていると思います。

 緒方氏の記事の半分をご紹介いたしました。残り半分は次号でお伝えいたします。


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