昨年日本で公開された台湾映画「KANO〜カノ〜1931海の向こうの甲子園」を見ましたか?
日本が台湾を統治していた時代に、甲子園に出場して準優勝した台湾の嘉義農林学校野球部の物語
だ。
実話に基づいているので、当時の台湾の様子がよく分かる。日本人と台湾人が一緒に野球に打ち
込む姿に、胸が熱くなる。上映した映画館が少なくて残念だったが、DVDが出ているので、ぜひ
多くの人に見てほしい。
私が台湾との交流を続けてきたきっかけは、1999年に李登輝総統が書いた『台湾の主張』を読
み、世の中にはこんな素晴らしい政治家がいるのか、こんなに日本を愛している人がいるのかと感
銘を受けた。
そのあと蔡焜燦氏の著書『台湾人と日本精神』を読んで、日本と台湾の深いつながりを知って非
常に感動した。私は李登輝氏や蔡焜燦氏など、日本語世代の台湾の方々のお話を伺うために何度も
台湾を訪れた。
台湾には昔から南方系の民族が住んでいたが、400年ほど前より大陸から渡ってきた人たち(漢
人)が原住民との間に子孫を増やしていった。漢人と交わらなかった山岳地帯に住む原住民たち
は、日本時代には高砂族と呼ばれそれぞれの部族が違う言葉をしゃべっていた。
1895年、日清戦争に勝った日本は清国から台湾を譲り受け、教育などなかった台湾に学校をつく
り日本語を教えた。これにより共通言語のなかった台湾に日本語という共通語ができ、台湾の人た
ちが同じ言葉でしゃべれるようになった。学校では日本語を強要したが、日常生活での台湾語は禁
止しなかった。映画を見れば、そのこともよく分かる。
台湾は大雨が続くかまったく降らない干ばつの季節の繰り返しで、農作物が不作で人々の暮らし
は貧しかった。そこで八田與一が中心になって東洋最大規模のダムを作り、水路を張り巡らせて計
画的な農業生産ができるようにして人々の生活を豊かにした。映画はこの時代の話で、八田與一も
登場する。
日本が戦争に負けて台湾から引き揚げた後、毛沢東の共産党との戦争に敗れた蒋介石の国民党が
逃げて台湾を支配し、台湾語も日本語も禁止して北京語を強要した。戦後の約四十年間、蒋介石と
息子の蒋経国が中国人の国民党による独裁政治を行なったが台湾人の李登輝氏が1988年に総統と
なってから、台湾は選挙で政治家を選ぶ民主的な国となり、公の場で台湾語も日本語も話せるよう
になった。
学校では日本時代に台湾が発展した歴史も教えるようになり、現在の台湾の若者や子供はみんな
日本が大好きだ。台湾のお年寄りたちが懐かしむ、古き良き日本時代を描いた映画。李登輝元総統
も絶賛した映画「KANO」をぜひ見てください。