との合同句集」を紹介したとき、阿川弘之氏がかつて月刊「文藝春秋」の巻頭随筆で、台
湾には未だ日本流短詩創作の活動をつづけている人々がいることを、『台湾万葉集』や正
岡子規賞を受賞した黄霊芝氏の『台湾俳句歳時記』などの例を挙げて紹介しつつ、台湾川
柳会の会長だった李琢玉さんの初の川柳句集『酔牛』について取り上げた「台湾の川柳」
も併せてご紹介した。
昨日の朝日新聞が黄霊芝氏の主宰する「台湾俳句会」について取り上げていたので、下
記にご紹介したい。また、川柳の日台合同句集『近くて近い台湾』(仮称)の募集締切は3
月31日なので、改めて江畑代表の巻頭言と作品募集要項を掲載したい。
ちなみに、黄霊芝氏は1928(昭和3)年6月20日に台南に生まれている。本名は黄天驥。
台南一中から国立台湾大学外文系に入学するも結核のため中退する。蒋介石政権下、新聞
や雑誌で日本語が禁止されていたが、このときから日本語で小説を書き始め、俳句や詩、
彫刻にも手を染め練達していく。
日本で出版した『台湾俳句歳時記』』(言叢社、平成15年4月刊)には396の季語が取り
上げられている。これが高く評価され、翌年11月、「季語・季題という俳句の約束事と台
湾の風土の独自性とに真摯に向き合うとともに、日本語と台湾語、日本文化と台湾文化双
方への愛着と美意識を昇華させ、独力で『台湾俳句歳時記』を上梓した。季語・季題の解
説は俳味に溢れており、俳句と歳時記という型を借りた優れた文芸作品である。同時に、
季感というものが様々な風土において再創造可能な普遍性を持つことを示し、俳句の可能
性の拡大に寄与するところ大である」と、第3回正岡子規国際俳句賞を受賞している。
また、2006年には長年にわたる俳句会の活動が評価され旭日小綬章を受章している。
昨年6月、日本で『黄霊芝小説選』(渓水社)も出版し、1970年に中文で第1届呉濁流文
学奨受賞し、翌年、その日文を「岡山日報」に連載した中篇小説『蟹』などを収録する。
黄霊芝氏や蔡焜燦氏など、台湾には「日本語世代」と呼ばれる方々がいる。日本語でし
か思ったように表現できない。短歌、俳句、川柳、随筆、すべて日本語だが、日本人では
表現しえない、台湾文芸というしかない世界を持ち始めている。文化の多様性に富む台湾
ならではの現象だ。いま、20代から40代がこの世界に参入してきている。
台湾俳句 おおらかに、はっきりと 長谷川櫂が合同句会
【朝日新聞:2013年2月13日】
http://digital.asahi.com/articles/TKY201302120320.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201302120320
写真:長谷川櫂と黄霊芝(右)=台北市内の黄霊芝の自宅
写真:長谷川櫂(前列中央)と台北俳句会に参加したメンバー
【宇佐美貴子】俳人の長谷川櫂(かい)が、40年以上続く台湾の俳句会と合同句会を開
いた。五七五の定型、季語を入れることは同じだが、「日本と台湾の俳句には違いがあ
る」という。同じ日本語を使いながら、独自の発展をとげた台湾の俳句とは?
長谷川は3日、結社の仲間と台北市を訪れ、「台北俳句会」の月例会に参加した。集まっ
たのは日台あわせて25人。「大根」「寒波」の題で、3句ずつ事前投句した52人の句の中か
らお互いが選をした。句の読み上げも感想も日本語。最高点を集めたのは〈老い母の味が
身に沁(し)む大根餅〉(游細幼)、〈夕暮れの屋根より匂(にお)ふ干大根〉(高阿
香)、〈「おかえり」はいつも日本語大根煮る〉(三宅節子)など、いずれも台湾からの
参加者だった。
台湾の俳句の特徴は、長谷川が特選にした〈大根の古漬け名人それは我〉(李秀恵)に
顕著だという。「〈名人それは我〉と日本人には言い切れない。思い切りの良さがいい。
人間味があり、物事をおおらかにとらえ、本質をはっきり言う」
台北俳句会は1970年、日本統治時代に日本語教育を受けた黄霊芝(こうれいし、84)が
中心となって発足した。当時の国民政府は日本語使用を禁じており、危険な試みだった。
それでも黄にとっての文芸表現は日本語しかなく、「親日ではなく親日本語派」という。
台湾で唯一の俳句会は、俳句だけでなく短歌、川柳、小説など日本語での創作活動の原点
となった。
黄が十数年かけて編んだ「台湾俳句歳時記」は、日本の四季とは違う季節感を「暖かい
頃」「暑い頃」「涼しい頃」「寒い頃」に分け、熱帯、亜熱帯の自然現象や動植物、風俗
など特有の季語をまとめた。
高齢で句会に参加できない黄は、自宅を訪れた長谷川にこう語った。「果たして台湾の
俳句は日本の文芸なのか、台湾の文芸なのか。日本語を使用しても作るのは台湾の人だか
ら台湾の文学と考えたいが、いまだに日本を上と考える植民地後遺症があって単純ではな
い。大蒜(にんにく)という季語を日本は『臭い』、台湾では『芳しい』と感じる。『芳
しい』で作った俳句は、台湾の文芸になるのではないか」
今回の句会を「漢字を共有する東アジア文化圏という視座の中で、俳句を考える契機と
なる良い経験だった」と長谷川はふりかえった。