<1950年代に捕まったのは、殆どが「アカ」のレッテルを貼られたものだった。が、逮捕の理由が、次第に「台湾独立」の色がでてくる。1964年9月、彭明敏、魏延朝、謝聡敏らが「台湾自救運動宣言」を発表し捕まる。謝のメモを、唯一日本人で服役していた小林正成(1933年〜)が秘密裏に持ちだし、タイムズ紙で発表されるに至り、それまで「台湾には政治犯はいない」としていた蒋父子のウソが明るみに出た。これにより、1970年代から、台湾島内にいた牧師やカトリックの神父、国際アムネスティなどの団体が、国内外から救援活動を始めるきっかけとなった。>
ここに名前が挙げられている謝聡敏氏が9月8日、亡くなられたそうだ。心からお悔やみ申し上げます。そのことを中央通信社が伝えているので下記に紹介したい。
なお、謝聡敏氏のメモを秘密裡に持ち出した小林正成(こばやし・まさなり)氏は台湾独立建国聯盟日本本部(当時は台湾独立聯盟)の秘密盟員で、1971年5月9日、母の日に、台北市内のビルから台湾の民主化と独立を求めるビラを気球からばら撒いた事件を起こし、台湾警備総司令部に収監されている。
ここで小林氏は隣房に入っていた謝聡敏氏と知り合い、出獄時に預かったメモを持ち出し、それがニューヨークタイムズ紙に掲載されるに至る。
この事件の顛末を小林氏自ら冒険小説のごとくつづったのが『台湾よ、ありがとう(多謝!台湾)』(展転社、2013年9月刊)で、李登輝元総統も「こういう日本人がいたことに驚いた。戦後台湾の白色テロ時代に、台湾の民主化を要求するビラを気球に積んで台北の空からばらまいたとは、当時を知る私には信じがたい事実だ。我が身を顧みず台湾のために尽力した日本人は少なくないが、小林氏もその系譜に連なる躬行実践の人だ」と絶賛されている。
ちなみに、景美人権博物館において唯一紹介されている日本人が小林正成氏だ。
◆景美人権博物館での蔡焜霖さんのお話 柘植 康成【本誌2019年2月27日号】 http://melma.com/backnumber_100557_6793279/#calendar
—————————————————————————————–台湾の民主化に貢献 元立法委員・謝聡敏氏死去 85歳【中央通信社:2019年9月9日】http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201909090006.aspx
(台北 9日 中央社)元立法委員(国会議員)の謝聡敏氏が8日、病気のため死去した。85歳。謝氏は台湾の民主化や独立を主張する「台湾人民自救宣言」の起草者の一人で、台湾の民主主義の発展に大きく貢献した。
1934年生まれ。国民党政権による権威主義体制下の1964年、台湾大政治学科の彭明敏教授、大学時代の同級生、魏廷朝氏と共に同宣言を発表したことで反乱罪で起訴され、投獄された。後に立法委員を2期務め、戒厳令下の政治被害者の名誉回復のために奔走した。
総統府は9日、謝氏の死去に深い哀悼の意を示し、謝氏を「台湾の民主主義の手本」だとたたえた。
(葉素萍/編集:名切千絵)