終戦から70年を迎える今年の首相談話には、きちんとアジアの国々を意識した謝罪や反省の言葉
が盛り込まれた。特に、その中に、今年は台湾という言葉がはじめて使われた。
「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを
表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジ
アの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、
戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後
も、揺るぎないものであります。」
日本人は、中国への侵略、朝鮮半島の植民地化に対する贖罪の気持ちを十分すぎるほど持ってい
る。しかし、文句を言わないおとなしい台湾に対しては、背中を向けたまま70年が過ぎた。安倍首
相の談話に使われた「台湾」という二文字には、かつての同胞台湾人への配慮が感じられ、それだ
けでもずっと無視されてきた台湾人は幾分なりとも報われる思いがする。
この70年間、アジアのどこの国も独り立ちして歩き出すために苦労を重ねてきた。多くの国が戦
争や内紛を経験し、民主主義国家として機能するにはまだまだ民意の成長を必要とする国も多い。
しかし、戦後、植民地から解放されて、自分の国の設営に努力してきた国々は幸せである。中国、
韓国、北朝鮮、フィリピン、インドネシア、などなど。
ただ、一つ、台湾をのぞいて。
台湾だけは、戦後、再び中国人(蒋介石率いる中国国民党)の植民地とされ、自分の国を持つこ
とができなかったのだ。しかも、非近代的な教育水準の低い、人権というものを理解しない中国人
による傍若無人な支配下に置かれた台湾人の苦しみは、日本人の想像をはるかに超えた厳しいもの
であった。
しかし、日本人は、敗戦と共に、台湾を去った。去ったまま、かつて同胞として机を並べ、共に
暮らした台湾人のことを一切忘れ去って背を向けた。台湾には中華民国という国があるのだな、と
他人事のように見ていた。台湾には善良な日本教育を受けた人々が600万人もいたことを一番知っ
ていたのは、日本人だったはずなのに。
台湾人と中国人は同じではないのですか、という質問を受けることがある。全く違うのだが、簡
単に見分ける方法をお教えすると、1985年に日本が台湾を統治するまでに台湾に住んでいた人々
(紀元前から住む先住民族と中国大陸からの移民)が台湾人である。戦争中、共に日本兵として
戦ったのが台湾人、敵だったのが中国人である。
1945年当時、台湾人は台湾語(自分たちの母語)か日本語しか話せなかった。戦後、やってきた
中国人に北京語を「国語」とするよう強いられ、一から勉強したのである。戦後、台湾を占領統治
した中国人は、外省人とも言われるが、台湾人ではない。(ただし、台湾に来て70年も経って、外
省人の3世4世たちは、自分たちの故郷は台湾で自分たちは台湾人だというアイデンティティを持つ
ようになっている。そういう彼らはもう台湾人であると私は思う)
戦争中、腰砕けで日本に投降しようとする蒋介石を叱咤激励するために、チャーチルとルーズベ
ルトは勝手に「戦争に勝ったら台湾をおまえにやる」と蒋介石に口約束した(カイロ宣言)。本当
はカイロ宣言に、何ら法的根拠はなかった。台湾は無人島ではなく、そこに近代的精神を持つ教育
の行き届いた人民が600万人も住んでいることを、欧米は全く理解していなかった。または、知っ
ていて、無視したかだ。
戦後、台湾人は、自分の住まう土地のなかで、中国人に虐殺され、38年間に及ぶ戒厳令の下で、
言論と行動の自由を奪われて暮らしていた。やっと、戒厳令が解除され自由に行動できるように
なったのは、1987年で、翌年、蒋経国総統の急死によって、副総統から昇格した李登輝総統の下
で、徐々に民主主義社会に移行することに成功した。それから20年が経つが、しかし、今もまだ国
民党が隅々にまで作り上げた鉄壁の体制は、社会のあちこちに残って弊害となっている。
たとえ、台湾国内が改善されても、大きな問題がある。国際的な台湾の地位である。
中国国民党が「自分たちこそ全中国を代表する」と荒唐無稽な妄想を主張していたために、中国
共産党に「中国は一つ、われわれが代表するもので、我が国と国交を結びたければ、台湾(中華民
国)と縁を切るように」と言わしめたのだ。
そのため、中華民国は国連からも他の国際機関からも締め出され、日本をはじめ諸外国との外交
関係を持っていない。現在、世界には195か国あるが、台湾はカウントされていない。2300万人の
台湾人の人権は国際社会から無視されているのである。
こんな可哀そうな境遇の国は、世界中さがしても他にない。
この状況を打破するには、台湾人が国民党政権を打倒して、自らが主人公となる政治をするしか
方法はない。台湾人が自らの国を経営し、国際社会に「台湾」として認知してもらうよう働きかけ
ることが王道である。その時には、是非、日本に応援してもらいたい。
それが、日本に残された宿題、戦後処理である。
かつての宗主国日本は、台湾の戦後処理を応援する義務があるのではないか。それは、台湾人が
他国からの干渉を受けずに、民主的な手段で自らの政治を行い、一国として成り立ってゆくことを
積極的に見守ることである。
そして、台湾が一国として独立した暁には、共に手を携えてゆく良きパートナーを隣国にもつこ
とになるだろう。